<<人間>>人間教育(3)

2013 年 6 月 25 日

  「「子育て」」の段階で、人間の{{こころ}}ですよね、「「人格」」が決まって来ます。
小学校~中学校~高等学校などにて、学校の成績が良くなった、或は、人間の{{こころ}}が良くなったなどとも、言う場合も有ります。
そう、見かけは、確かに、勉強が出来るようになったり、人間が良い方に変わったなどと、周囲から思われる場合もあります。
そのように周囲から見られても、現実には、当人の{{こころ}}の底辺は変化しておりません。

  そう、当方の説明を聞いて、勉強が出来れば、当人の{{こころ}}が変化したではないかと、主張する方々も居られるでしょうが、真実には、その方の「「無意識」」の世界は変化していませんですよ。
だから、今に、勉強や、学問などが、立派になったと言え、その人の「「人格」」は真実には矯正されていませんね。
人間は、幼い頃から、それぞれが成長して、「「自我」」の発達が見られます。
そして、己の眼前を眺めながら、今の己の「「顕在意識」」を使って判断をして生きています。

  何を伝えたいのかですがね、己の「「無意識」」と「「潜在意識」」を知った上で、判断することですね。
己の眼前の現象、或は、人間社会の判断でさえも、「「顕在意識」」のみで判定をしないようにと伝えているのです。
それは、己の過去の{{こころ}}を紐解いておかないと、今の現実の人間社会の現象が正確に見えないからです。
そして、また、人間の人生での{{生き方}}、或は、己の眼前の「「人格」」がある程度でも完成していないと、ある程度の正確な判断が出来ないからです。

  中学生や高校生では、親の{{こころ}}の変化が、最大に重要です。
ですが、大学生や、就職になってしまいますと、親から離れます。
多くの場合にて、ですね。
親から離れて生活していますと、自分の{{こころ}}でしか生きる{策}}は有りません。
そんな時にですが、ふと疑問を抱えた時に、周囲の人間から助言や説教を受けますと、人生にては間違った説教でも、真面目に信じて生きて行く場合も有ります。

  人間って本当に、大変ですよ。
此の世に、完全なる母親も居ないし、完全なる父親もいません。
幼い時から、それなりの、親に対する不満を持ちながら成長しますから、誰かの意見や考え方を、間違っていても、すんなりと、受け止める場合が有ります。
どうぞ、人生を生きるのに、悩まないで苦しまないで、生きて欲しいものです。
本当の真実の己の{{こころ}}を知っておくべきです。
不満・不平・怒り・悲しさ・苦しさ、などを持たないで生きる事にしましょう。

<<人間>>人間教育(2)

2013 年 6 月 24 日

  次第に、人間は時間と共に成長して行きます。
時間と大きな場所の中で、成長するのですが、人間は一人で此の世の中を生きる事は出来ません。
必ずや、一人ではなくて、複数の人間の中で生きながら、時間は流れて行きます。

  家族の中から・・・、幼稚園や小学校などでも・・・、周囲の子供達や先生などの影響を受けるのです。
勿論、家族の中での、親の対応が重要ですが、家族の外での人間関係も充分に考慮しておかないといけません、ですよ。
周囲の人間から、現実の災いや、災いとなるような言葉などが、降りかかった時には、如何なる対応を取るかという家族の接し方ですよね。

  子供達は、次第に成長しますが、幼稚園や小学校に入りますと、周囲の子供達からの、{{言葉}}や{{行動}}などの「「不快感」」を得てしまいます。
先生方からも、「「声」」や「「行動」」による葛藤を受ける場合もあります。
幼稚園や小学校での葛藤を受けて自宅に帰った場合では、其処で、両親が如何なる慰めの「「言葉」」で子供達に対応できるのでしょう。
両親が積極的に慰めると言うよりも、逆に、子供達からの言葉を受け止めてあげる両親が良いでしょう。

  でも、そんな事柄まで、「「子育て」」で考えている親達が居ますでしょうかね。
多分に、居ないでしょう。
多くの親達は学校の生徒達が悪いとか、学校の先生達が悪いとか、言うばかりでしょうね。
親が自分の悪さを誰もが、反省しませんから、世の中の人間達が不思議にも、変な歪な人間になるのは無理がないでしょう。

  やがて、子供達は中学生から高校生になって行きます。
またまた、中学生頃から、己の「「自我」」が少しずつ発達しますので、自分の意志がかなり明確にもなって来ます。
嫌いとか、好きだとか、嬉しいとか、悲しいとか、諸々の感情が出て来ます。
自分の感情を少しでも明確に感じる程に、{{こころ}}の病気にはなり易いでしょうからね。

  この子供達の「「自我」」の発達には、どのくらいまで、親が後押しできるのかですが、{{こころ}}の勉強をしていない親達には、子供達との感情の{{交流}}や{{癒し}}ができないでしょう。
親の「「子育て」」って、子供達が何歳になっても大事なものです。
子供達が、今から、親元を離れて行く時期になっています。
親から離れてから、自分の意志で物事を判断するのです。
この判断が、子供達が自分の{{こころ}に、如何に反応するかですよね。

<<人間>>人間教育(1)

2013 年 6 月 21 日

  現代社会での生き様を見ていますと、人間の{{こころ}}が悪い方に変転しているように思われます。
小学、いや、幼稚園の頃からかな、中学や高校の生徒達、或は、大学生の皆さんを見ていますと、色々と{{こころ}}の歪な方々が居られますよね。
小学、いや、幼稚園の頃からかな、中学や高校の生徒達、或は、大学生の皆さんを見ていますと、全体的には、随分と、人間の{{こころ}}が単純になっているようです。

  単純になっていると言うよりも、歪になっていると言った方が正解でしょうかね。
「「人間教育」」と言うタイトルですから、矢張り、どうしても、中心がこころとなります。
「「人間教育」」となれば、どうしても、人間が此の世に誕生して生きて行くのに、人間社会で悩まないで苦しまないで爽やかに生きる事でしょうからね。
「「事件」」や「「犯罪」」など起こすような人間であっては駄目な人間でしょう。
そんな人間にならずに、真面目な人間として人生を生きる事の出来る状況が大事ですよ。

  「「人間教育」」なんて、しばしばと言われますが、誕生から、乳幼児~児童~学童、そう、小学~中学までは、親の「「人間教育」」が中心でしょうからね。
勿論、高校までが、親の「「人間教育」」でしょう。
しかしながら、例外として、中学生とか高校生とかの時から、家族を離れる場合もありますね、勉強のためとか、運動選手になるためとかですね。
そのような場合では、親よりも、周囲の人間達が「「人間教育」」を施してゆくべきでしょうね。

  生い立ちの中で、人間が育つ過程で、どのくらいの{{こころの葛藤}}を抱えるのか、どうかですよ。
そうでありますから、その人間((子供達))の周囲の人間の存在が大変に重要であると言いたいのです。
だが、現実となりますと、子供達の「「人間教育」」については、親達が、日頃から、全く、{{子育て}}については、勉強しようとは考えません、ですよ。

  昨今、携帯電話など、パソコンから、スマホまでが、人間社会に登場して来ています。
子供達は、そんな物にて遊びますので、現実の人達を眼前にして、上手な会話が出来なくなったとも言われています。
スマホなどにて、そんな中でゲ―ムで遊びますと、自分が中心人物になって遊べます。
現実の人間社会では、誰よりも、誰と比較しても「「劣等感」」が湧いて来まして、悲しく辛くなるのです。
幼い頃、誕生した時からの「「人間教育」」が大事です。

<<人生>>(23)人生とは

2013 年 6 月 17 日

  80歳頃に、しましょうかね。
男性では、もう、この年齢では、平均寿命を過ぎています。
女性では、まだまだ、87歳頃までは、平均寿命が有るようです。
でもね、しばしばと言われますが、平均寿命でなくて、最近では、「「健康寿命」」などと言われています。

  まさに、人間が願った通りに、人生が進めば良いのですが、予期せぬ病気にも襲われてしまい、どうにもならない場合があります。
一見、健康に見えても、{{こころ}}の歪な方達は、多いですよ。
可能であれば、{{からだ}}だけでなくて、{{こころ}}もそれなりに健康なのが最良でしょうからね。
{{からだ}}だけが、健康では、あまり意味がないでしょうからね。

  男性では、一般に、矢張り、女性と比較すると、男性の方が遥かに{{からだ}}はボロボロになる場合が多いみたいです。
{{こころ}}も平均的にみますと、男性の{{こころ}}の衰えの方が早いみたいですよ。
男も女も、自分の子供を見ますと、たとえ年齢を重ねて大人になっていても、何時までも{{子ども扱い}}にします。認知症になれば、更に周囲からもいろんな問題が起きますが、仕方が有りませんよね。

  {{こころ}}が健康である事は、自分の{{こころ}}も他人の{{こころ}}も見える事でしょうが、このあたりになりますと、老いも若きも大変な世界になるでしょう。
認知症でも、頭の脳細胞の変化で、激しい興奮や幻覚や幻視なども起こるでしょうが・・・、人間の{{こころ}}は不思議なもので、{{こころ}}が歪でも、様々な症状が出ますからね。
これ以上の年齢になりますと、今更にでも、{{こころ}}が新鮮に生まれ変わるのは、少ないでしょう・・・・・。

  当方で、87歳のお婆ちゃんが「「内観」」をされていますが、「「うつ病」」で悩んでいた方でして、それでも、内観の最後の日、8日目ですが、「「内観」」をこのままで終わるのは、何だか、寂しいし、もったいない、などと言われていましたのが、今でも、当方の記憶に残っています。
男性では、84歳でしたが、矢張り、うつ病者の方で「「内観」」をされて、{{私は、もっと、早く「「内観」」をするべきだったなどと、言われた事がありましたが、ずっと、当方の記憶に残っております。

  人間の生きざまとか、人間の{{こころ}}は、素晴らしいい程に、「「回向」」・「「回復」」・「「至高」」・「「至福」」・「「新生」」などを得る場合もあるのです。
努力を重ねて行けば、素晴らしい人間になれる場合も有るのです。
{{こころ}}と{{からだ}}のどちらが大切でしょうか、{{こころ}}の方が大切でしょうからね。                   {これで、この項の原稿は終わりです。}

<<人生>>(22)人生とは

2013 年 6 月 15 日

  70歳から75歳になっても、人は{{悩んだり}}、{{喜んだり}}するものです。
人間は、何歳になってもですね・・・、、認知症が無ければ、自分の{{こころ}}を手繰り出せるものです。
「「悩み」」とか「「苦しみ」」など、万一抱えた場合でも、安心してください。
特別な、いや、普通の認知症さえ無ければ、{{こころ}}の回復は、「「内観」」さえ体験すれば、立派に立ち直るものです。

  人間の一生は、一度の人生です。
輪廻転生などと,言いますが、これは、悩める人間を洗脳するためのものですよね。
本来的には、このくらいの言葉では、完全に、人間に「「悩み」」や「「苦しみ」」を解いてあげるのは無理ですね。
仏教観からの「「言葉:」」ですが、キリスト教では「「再臨:」」などの言葉もあります。

  また、面白いのは、仏教観では人間の{{こころ}}を慰めるために、「「地獄」」・「「餓鬼」」・「「畜生」」・「「修羅」」・「「人間界」」・「「天界」」・「「声聞」」・「「縁覚」」・「「菩薩」」・「「仏」」の世界などと、言ったりもします。
また、「「色即是空」」などとも言いますが・・・・・、難しくなりますので、この話は中止しましょうかね。
こんな{{こころ}}の世界もあると、言ったのですが、これらは、矢張り、{{からだ}}では悟れませんからね。

  仏教もキリスト教でも、言っていますが、「「懺悔」」こそは、人間の{{こころ}}を本当に変えるものですよね。
 「「懺悔」」とは、如何にも宗教の言葉ですよね。
だから、「「懺悔」」よりも、「「反省」」にすれば良いのですよ。
こんなに理解しやすい言葉、「「反省」」だと説明にしても、矢張り、人間の{{こころ}}と言うか「「人格」」と言うか、自分が一番に正しい考え方をしていると思っていますよ。
自分の{{こころ}}が間違っていても、私の{{こころ}}は間違っていないと、誰もが言いますので、大変な人間世界ですよ。

  まだまだ、認知症が軽ければ、「「反省」」も出来ますし、「「内観」」ができるのです。
この年齢では、まだまだ、本当に{{こころ}}は生まれ変わるものです。
出来るものならば、人生を、或いは、自分の{{こころ}}を悟りながら生きて欲しいですよ。
まだまだ、自分の「「運命」」を変える事も出来るのですからね。
高齢者になれば、可能な限りでも、周囲の方達と仲良くなって生きる事ができることを、当方は期待しています。

どうぞ、一度は、「「内観」」体験をしておいて下さい。