<<人生>>人生って(7)

2013 年 11 月 7 日

  当方、何度も、人生を生きるのに、自分が賢いなどと、考えないで下さいと申しあげております。
小学、中学、高校、大学、いや、就職してから、働いていても、己は真実の自分を認めないのですから、集団の中で「「劣等感」」を抱えて生きる事になります。
裏返せば、「「優越感」」を持てない事に悩んでいるのです。

  本当の自分の{{こころ}}の愚かさを認めれば、また、学ばなければいけません。
学ばずして、{{こころ}}は豊かにはなりません、ね。
矢張り、人間社会を勉強しようと思えばですね・・・・・、
 己の{{こころ}}を理解しておくことが大事です。
人間って、人間社会に揉まれれば{{こころ}}の成長はあるように思っているようですが、そのように思っても、なかなかとうまくいかないようです。
{{こころ}}&「「性格」」&「「人格」」などは、必ず、磨いていないと、人間世界を生きるのには、大変でしょう。

  親が子供達を作るのですが、親はこんな子供が欲しいなんて言って、此の世に子供を送り出すのではありません。
しかしながら子供達は、「「因縁」」で、此の世に出て来るのですが・・・・・、
 それなりに、親には「「感謝」」の気持ちが持てなければ、駄目人間となるでしょう。
親が、どんなに歪な行動、歪な会話、歪な思いを抱えていても、子供達は自分の人生を勉強する事が大事ですよ。

  人生とは、「「何か」」、「「己とは、何か」」、「「人間社会とは、何か」」、「「己の、存在は」」などと、勉強するのが、大事ですよ。 
しっかりと、自分の{{こころ}}を回想する事で、己の{{こころ}}を知るのです。
しかも、自分の人生観が間違っていた事にも、気づくでしょうからね。

  世の中を生きるのに、全ての場合で、自分が一番に賢いなんて有りませんから、
充分に自分の{{考え方}}、自分の{{こころ}}を調べるのですよね。
  己の「「過去」」を回想しない限り、己の{{こころ}}を充分に知っているとは言えません。
必ずや、自分の過去を回想すると、己の{{こころ}}の過ちに気づく筈です。
己の{{過ち}}に気づいてから、初めて自分の{{こころ}}の入れ替えを出来るのです。

  一番に良いのは、己は馬鹿な人間だと知る事ですよ。
悲しい事柄は、自分を馬鹿な人間だと認めない事で、一番に悲しい問題ですよね。
 人間世界で生きるのに、私は{{愚かな人間}}だと認めてしまえば、必ず努力しないと駄目だと理解できる筈ですよね。
「「優越感」」・「「自惚れ」」・「「自慢のこころ」」・「「自尊心」」などと言わない事が大事ですよ。     

<<人生>>人生って(6)

2013 年 11 月 2 日

  先日も{{話}}しましたが、人生は「「流されて、生きるもの」」ですよ。
ですが、多くの方々は、流されまいと考えて、慌てふためくのです。
人生は、流転変転、いや、全ての{{存在する物}}や{{物事}}は、流転&変転しますよ。
己が優秀だと思っても、{{時間}}と{{場所}}が変われば、悲しいものですが、直ぐに、立場は変化しますよ。

  皆の前で、本当に、私は{{愚かな人間}}だと思えるならば、最高の心境なのですがね。
面白いのは、人間の{{生き様}}は、己の{{こころ}に興味を持たないし、興味を持つ人間になれれば、良いのですがね。
そう、{{こころ}}に興味を持つ方々は、比較的に悩まないし、「「うつ病」」にもならないでしょうからね。

  何時もお話をしますが、「「カウンセリング」」では、人生の{{悟り}}を開けませんですよ。 どんなに考えても、当方は「「内観」」でないと、駄目だと、何時も言っておりますね。
殆どの方々は、「「カウンセリング」」と「「内観」」の区別も理解できません、
悲しい、悲しい、人間様ですよ。

  自分が{{誇り}}を持てば、持つ程に、自分の{{こころ}}は疲れるのですが、そんな簡単な事柄を理解しません。
どの道に転んでも、納得できるのが一番ですがね。
人生を生きるのに、誰もが、皆が賢い筈は有りません。
皆が賢くて偉いのならば、馬鹿な人間は居ない筈ですがね。
ですが、人間世界には、必ず、賢いとか、馬鹿とか、思う人達が居るものです。

  でもね、馬鹿な人間は、馬鹿だと自覚して欲しいものです。
己が、馬鹿だと思うのが、耐えられないのですよ。
  考え方にも、色々と有りますが、集団の中で、一番に偉いと考えない事ですよ。
己は馬鹿だ、馬鹿だと、自覚する人達は、悩まないで生きる事が可能なのですがね。
ですが、本当に、人間は、自分の位置と言うのか、自分の「「プライド」」を落すのが下手ですよ。

  周囲の皆よりも、優位に居たいなどと考えます。
自分が劣っているのか、そうでないのかを判断するのが、確かにそんなに上手ではありません。
こんな{{己は、決して賢い人間でない}}などと、「「悟る」」のは簡単に出来るのでしょうが、集団の中で自覚が出来ないのですから、大変です。

<<人生>>人生って(5)

2013 年 10 月 31 日

  先日、{{悩まないで生きる}}などと、講演を頼まれまして、お話をしたのですが、皆様方は一生懸命に聞いて下さったものです。
皆様方が、私は{偉い}とか、{良く思われたい}とか考えながら、自分の人生を生きておられます。
このような生き方が、皆が大事だと思っていますから、人間の{{頭って、面白い}}ですよ。

  少し、人生を{{例え・・・・}}で、説明しましょう。
自分が人生の{{どん底}}に落ちた状態を認めるのが、最良なのですがね。
でも、なかなかと、己を{{どん底}}に落して生きる方々は少ないのです。
「「一枚の枯れ葉」」が、私の心境ですが、これは、人生を悟らないと理解が難しいのでしょうかね。

  何で、なんて、しばしばと質問されますよ。
だって、私は賢い偉い人間だと言う程の資格なんてありませんからね。
皆も、そうだと思うのですが、人間って、自分を中心に考えるのが好きなのですね。
そんな人達ほど、人生は辛くなるでしょう。

  自分を中心に考える方々は、他者の{{こころ}}を理解してあげるなんて思わないのですよ。
そうなりますとね、本当に自分が{{どんな人間かが、分からない}}のです。
そうですね、立派な思考体系を持つのが大事ですが、相手の気持ち、相手の立場を了解できない方々は、あまりにも、自己中心的になりますので、良好な{{判断}}をできません。

  そう、自分も、相手の方も、差別しないで、判断できるのが、大事なのです。
「「枯れ葉」」の身分になれば、誰から{{いじめられて}}ても、当然だと思えるし、立腹しないで、良いですからね。
  そう、皆様方は「「枯れ葉」」なる練習をして欲しいのです。
「「枯れ葉」」の、気持ちですよ。
踏まれても、蹴られても、当然ですよと、納得できるのか、どうかですよ。

  自分に、{{どんな出来事}}が起こっても、納得するべきです。
だが、多く場合で、皆様方は、窮地に立たされますと、立腹したり、相手の人間を{{恨ん}}だり、{{やきもち}}を焼いてしまいますね。
  「「やきもち」」・「「嫉妬」」・「「妬み」」・「「不満」」・「「恨み」」・「「悲しみ」」・「「怨念」」・「「嘆き」」・「「いらいら」」・「「ゆううつ」」・「「パニック」」などなど、持たなければ良いのですが、残念な事に、人間の{{こころ}}って言うか「「性格」」&「「人格」」は、本当に嘆かわしい程に、弱いのです。
自分が強いと思う方々が、案外と、弱いのです。

<<人生>>人生って(4)

2013 年 10 月 30 日

  そうですよ、殆ど場合で、「「自尊心」」を大事にして下さいと言っていますよ。
当方は、「「自尊心」」などを持つのを止めて下さいませと、何時も言っています。
「自尊心」」の反対はと、尋ねるのですが、多くの場合、いや、ほとんどの場合で誰も気づいていないのが、実状みたいですよ。

  「「自尊心」」を大事に考えますと・・・・・、自分は真面目で立派な人だと思いたいものですよね。
そんな考え方を、中止するべきだと思います。
 自分を立派な人間だと、思わないで欲しいですよ。
そんな考え方をしないで、「「他尊心」」だと言う言葉を、当方は使っています。
そう、「「他尊心」」でありますと、悩む事は無いでしょうからね。

  ええ、自分を可愛がらないで、他人を可愛がってあげる事ですよ。
そんな事柄を理解できると、自分を{{なし崩し}}にできますからね。
 自分をいたわらない事ですよ。
悲劇の王様のような状態にならなければ、良いのですがね。
どんな生き方をしても、良いのですが、其処には、自分の状態を当たり前の事として受け止める事ができるのかどうかですよね。

  例えば、皆の中で、自分が最悪の馬鹿な人間だと自覚出来れば、自分の状況を受け入れるべきですよね。
そう、己のどんな惨めな{{生き方}}も、認める事なのです。
 他人を否定しないで、己を見つめて、己の生き方をしっかりと見つめる事なのです。
そう、過去の自分を認めた上で・・・・・。
なかなかと、人間は、自分の過去を振り返らないものです。
この事が、人間には、最大の欠点ともなるでしょうね。

  幸せに生きるなんて、かなり、矢張り、勉強しないと、難しいのですが、人生の生き方を学んでいれば良いだけです。
自分が、真面目な人間だと思っていますよ。
 多くの方達は、己の真実な{{こころ}}を知らないままで、生きるのです。
一方で、{{私は、自分は真面目な、善人だと自覚}}するのです。
では、貴方の真面目な過去を教えて下さいなどと言っても、意外に己の{{こころ}}を、過去の{{こころ}}を語るとなると、どうしても、途中で拒否するものです。

  案外と、己の過去を話すと、意外にも、自分でも、嫌いな思い出が出て来るのだと、直ぐに思います。
自分の{{惨めさ}}、{{悲しさ}}、{{駄目な状況}}、{{恨み}}、{{苦しさ}}、などなど、
 自分のマイナスの{{こころ}}を受け入れる事なのです。
私は、偉い賢い真面目だと自惚れている人達が、自分の過去の{{こころ}}と{{こうどう}}と{{かいわ}}を調べると、答えは簡単です。

<<人生>>人生って(3)

2013 年 10 月 28 日

  人間って、「「喜」」・「「怒」」・「「哀」」・「「楽」」を感じながら生きております。
でも、日頃は、殆どの方々が、ぼんやりと生きているのではと、思わされますよ。
時には、喜びながらですが、社会的には、生きる事柄を考えずにですね・・・。

 最近大変なのは、子供達が、何時もネットをしながらの時間を費やしていることです。
勿論、多くの場合にしても、真実に、己の人生を、そして、人間世界とは、などなど、考えません。
 これが、困るのです。
しっかりと、人間世界を考えながらで生きるのが、最大に重要ですが、殆どの人達は、眼前の事柄ばかりを見ています。

  本当に自分の{{こころ}}を見つめて、自分と周囲の人間関係を確認する方々は少ないですよ。
私は、嬉しいのか、嬉しく生きているのか、ですよね。
私は,怒りながら生きているのか、どんな気持ちを抱えて生きているのかですよ。
私は、悲しみながら生きているのか、哀れみながら生きているのかですよ。
私は、気楽に自分の人生を生きているのかですよね。
そんな、自分の{{こころ}}を生きているのを、明確に確認できていれば最良でしょうからね。

  悩みながら、何故に、悩むのかと、考えません。
恨みながらも、何故に、恨みの感情を持ちながらで生きるのかですよね。
楽しみながら生きるとすれば、誰の、お蔭で嬉しいのか、どんなで事柄で嬉しいのか、そんな己の気持ち&感情など、自覚を出来る人間である事が重要ですよ。

  また、何度も言いますが、悲しい事ですが、自分を哀れむ{{こころ}}とか、他人を哀れむ{{こころ}}とかを、知っておくのが大事ですよね。
 皆と一緒に生きる事、自分が一人ではなくて、複数の人間集団で生きる事ですよ。
周囲の人間と、自分の{{こころ}}を合わせる事ができるのかどうかを知っておくべきです。
しばしば言われますが、一人で孤独な{{こころ}を抱えていないかどうかが、大事ですよね。

  大変に興味深いのは、悩みながら喜びながらで・・・、何故って、考えない人達が多いということです。
また、当方が気づいているのは、人間は、皆が{{自分は愚かな人間}}だと見ないということです。
 例えば、最悪の悪人が、己は{{悪人}}だと気づかないのが、怖い生き方ですよ。
多くの「「書物」」で、自分を大事にとか、「「自尊心」」を持ってくださいと書いていますがね・・・。
このことについては、次回に記載しましょう。