<<自殺>>「「自殺」」・・・(8)

2011 年 11 月 1 日

 自分の都合で「「自殺」」するのではなくて、世の中のル―ルみたいなものです。

現代社会では少なくなりましたが、以前の日本での武家社会などです。

敵討ちのような場合では、敵討ちが終わった後の「「自殺」」が習慣化されていました。

自分が一人で「「自殺」」する場合と、多人数が一緒に「「自殺」」する場合などがありました。

日本でも、有名な{{}}ですよね。

現代社会での、相手に対して{{敵討ち}}が終わったから、では、「「自殺」」をしましょうかと、言う時代は終わったのでしょうね。

但し、例外は有りますけれど。

随分と、その様な光景は少なくなったみたいです。

 

 仮に、現代社会で起こるものとすれば、年齢は、若き者から~年老いた者にまで、有り得るものでしょう。

起こりえる数からすれば、そんなに多くはないものでしょうが。

また、人間的に{{こころ}}が歪な場合の「「自殺」」では、自宅や施設での高齢者の世界で、「「恨み」」のあまりに相手を「「他殺」」しておいてから、「「自殺」」などもあります。

生徒や学生での世界では、相手を殺しておいてから、自分が「「自殺」」するのは、少ないでしょう。

むしろ、相手を「「殺生」」してからの「「自殺」」は、矢張り、高齢化社会での方が多いでしょう。

 

 高齢者になると、案外と無意識的にですが、自分の{{生命}}は残りが少ないと感じています。

だから、若年者よりも、自分の{{生命}}を処理しやすいでしょうね。

沢山の方達が、家族愛や隣人愛などの欠乏ですから、日頃から{{寂しく}}生活しています。

日頃から、悩み苦しんでいる方達ほど「「自殺」」もできるものでしょう。

また、人生は一度のみだと、多くの人達は知っていますけれどね。

大事な「「生命」」を簡単に始末しないでと、思います。

「「自殺」」と、簡単に言っても、それなりの、理由があるものです。

 

 人間世界が、随分と歪になったのが、今後の人間の生き方で大変でしょう。

「「愛」」とか「「恋」」とか、そんな{{こころ}}が少なくなっているでしょう。

「「愛」」と「「恋」」の気持ちの裏側には、「「恨み」」や「「悲しみ」」や「「不満」」が一緒になっていますからね。

「「愛」」や「「恋」」に破れて「「自殺」」するのも、一つの「「あだ討ち」」の片鱗かも知れません。

失恋で、自殺も有ると言いましたが、「「愛」」と「「恋」」に破れての「「自殺」」は、他殺できないので、その代わりに起した「「行為」」でもありましょう。

自分の{{生命}}は、二度と此の世には、戻りません。

<<自殺>>「「自殺」」・・・(7)

2011 年 10 月 28 日

 そう、最近では、書物に記載されなくなりましたが・・・、

若者達、それも人生に興味を持っていた人達で??、有名な話がありました。

「「人生 不可解なり」」と遺書を書き残してから、華厳の滝に飛び降り自殺をした人がいるのです。

有名な{{}}であり、現実の話です。

人生とか哲学の書物を読んでいますと、必ず、見られたものです。

エリ―ト大学に入っていた、人ですよ。

それ程に、人生は、不可解なものと、表現されていたのでした。

 

 でもね、沢山の「「臨床心理」」を勉強している方達であれば、勿論のこと、当方が知る限りでは、「「宗教学」」も熟知しておいた方が、良いですね。

「「臨床心理」」だけでは、少し、人間の{{こころ}}のカラクリが読めないので、「「宗教心理学」」が重要でしょう。

多くの人達は、自分の{{こころ}}を充分知っていると、答えます。

でも、自分の誕生から~~現在までの{{こころ}}を可能な限り知っておかないと、駄目ですね。

「「自殺」」なんて、自分は賢い偉い人間だと考えている方達も、案外と自分に不都合な事柄に衝突しますと、「「自殺」」をするものです。

 

 そう、有名なエリ―ト大学に在籍の人であれば、皆さんから見ると、素晴らしく賢い人間に見えるでしょう。

でも、違うのです。

人間は、此の世に誕生するまでに、何億倍の競争率でもって誕生して来るのです。

エコロジカルな、{{流れ}}ですよ。

どんなに、学問をしても、{{こころ}}の世界は置き去りにされていますので、{{悩み}}、{{苦しみ}}、{{恨み}}、{{嫉妬}}の世界での人間の自立を知っておくのが大事です。

どんなに学問をしても、若い世代では((年齢を重ねた人でも、同じですがね、))「「異性」」が思うように自分の手に入らないと、{{こころ}}が苦しくなって悩むものです。

その結果、「「自殺」」となってしまいます。

 

 当方、しっかり{{人間のこころ}}については、勉強しています。

{{悩み}}の原因が何であれ、親への「「恩」」と「「感謝」」を自覚している方達は、「「自殺」」できないですよね。

どんなに「「愛」」と「「恋」」を強く感じても、親への「「恩」」と「「感謝」」を抱えている方達であれば、決して「「自殺」」なんか出来ません。

「「愛」」と「「恋」」は凄く大事で強いものでして、人間の{{こころ}}を大きく支配していますが、親や他者へ抱える「「恩」」と「「感謝」」の{{こころ}}には負けるでしょう。

「「自殺」」の一断面を述べておきました。      

<<自殺>>「「自殺」」・・・(6)

2011 年 10 月 27 日

 高校生にもなりますと、「「愛」」と「「恋」」の{{こころ}}が破れる事で、「「自殺」」も起こりえますでしょう。

このような場合でも、矢張り、自分の親との「「信頼関係」」が出来てきていたかが、大きなものでしょう。

一人だけの「「自殺」」もありますし、「「自殺」」でも「「心中」」などが一緒になって来る場合もあるでしょう。

「「愛」」と「「恋」」の思いが、自分の欲求通りにならないと、当然に{{こころ}}のダメ―ジは大きいものです。

 

 最近は、でも、高校生くらいの「「自殺」」は少しながら減ったのかも知れません。

何故って、IT機器、パソコンや携帯電話などが、此の世に出て来ており、自分の癒せない{{こころ}}を、そのような道具によって{{こころの中和}}が少しながらでも出来るのかとも、思わされます。

パソコンや携帯電話で、自分の{{こころ}}を丈夫な人間に成長できるかと、問われれば、出来ないとしか言えません。

でも、確かに、高校生くらいの年齢では、「「自殺」」は少しばかり減っているのではないでしょうか。

時に、中学生では、傘をさしたまま高所から飛び降りる場合も、見られるようです(親との{こころ}が繋がっていれば、このような行動はしない筈でしょうが)。

 

 人生は、二度と繰り返しができないのが、人間には案外と理解できないようです。

普通の大人でさえ、知らない人達もいるみたいです。

「「愛」」と「「恋」」の破局では、「「自殺」」が起こる場合がありますが、「「他殺」」や「「心中」」なども起こるものです。

悲しい人間世界です、けれどね。

当人が、「「愛」」と「「恋」」の破局で、「「自殺」」など起こりますが、このような{{行動}}も、矢張り、親達、母親や父親との{{こころ}}が、如何なる状態にあるかが、凄く大きな事柄になっています。

少し先述しましたが、最近では、「「恋」」ができなくなっても、IT機器で自分を慰める方法も多々あります。

 

 結婚しないままで、自分の人生を終わる事もあります。

結局、人間関係の{{交流}}が上手でないと言うか、そんな状況で{{こころ}}の底では孤独を感じながらも、人間との{{こころ}}の交流ができないままで、それで自分の人生を暮らせれば良いでしょう。

{{孤独}}を感じても、「「自殺」」しなかったら、まだ良いのではないかと思われますが、

それでも、人生を生きるには、「「働かざる者は、食うべからず」」が理解できていなければ駄目でしょう。    

<<自殺>>「「自殺」」・・・(5)

2011 年 10 月 26 日

 思春期の人達ですね。

男も女も、思春期になれば、それなりの「「愛」」と「「恋」」の気持ちなどが大きく膨らんできます。

彼等の{{こころ}}の奥底での互いに「「異性」」を求める気持ちは、大変でもあります。

こんな{{こころ}}も、唯、単に異性への{{こころ}}を求めるあまりに、求めても無駄だと知った時の{{こころ}}や、そんな{{こころ}}のために「「会話」」や「「行動」」が歪に見られる時にですね、周囲の人達や、或いは、親が如何に対応するかでしょう。

 

 「「愛」」と「「恋」」でも、小学高学年、中学生、高校生、大学生、大学卒業後、などの年齢や発育の環境によっても、かなり{{こころ}}が様々に違って見られるものでしょう。

子供の成長の段階で、子供達が如何なる成長をしているか、教育に熱心な親から抑え込まれる場合、親から芸術の勉強や修行に抑え込まれる場合や、体育スポ―ツ関係に抑え込まれる場合、放置されたまま育っているか、子供達の{{こころ}}にも色々な場合が有ります。

 

 「「愛」」と「「恋」」の{{こころ}}についても、子供達が親との如何なる状態で{{こころ}}の関係になっているのかが、最大の問題点にもなります。

最近では、結構と中学生でも「「男」」と「「女」」の関係なる読書本が見られますので、随分と一部の人達は、一見、非常に成熟したようにも見られます。

中学3年にもなれば、随分と、成長しています。

ホルモンも、活発化して来ています。

親に対する{{こころ}}も重要で、親への「「感謝」」や「「恩」」を持っているかどうかでも、異性に対する感情は、違う場合があります。

 

 今回は、普通の一般の生活面での「「愛」」と「「恋」」について、述べています。

高校生くらいに、なって来ますと、「「異性を求める感情」」も強くなりますし、人間社会での「「柵」」も見えないままで、誰よりも「「劣等感」」を強く抱いて悲しくなって、「「自殺」」するような場合もあります。

単なる「「自殺」」だと言っても、根本的には、親への不満の{{こころ}}が重なっていたりする場合も有ります。

 

 母親が大好き、父親が大好きなどの場合では、他の事柄で悲しくても惨めに感じても、それなりに耐えられる筈です。

だが、悲しい事に、高校生だと言っても、それなりに、自分の{{こころ}}を修行しておかないと、自分と親が如何なる関係にあるのかも理解できません。

中学生で、互いに「「異性関係」」で悩んでも、まだまだ、「「自殺」」する場合は比較的に少ないでしょう。

高校生になれば、「「異性」」との問題で「「自殺」」も起こりますね。 

<<自殺>>「「自殺」」・・・(4)

2011 年 10 月 25 日

 幼稚な子供達の「「自殺」」、などもあります。

小学生でも、「「自殺」」する場合があります。

最近では、小学校の子供達も「「自殺」」する時が有ります。

親との{{こころ}}の問題を抱えている場合もあります。

生徒達同士の{{こころ}}の問題が、絡む場合もあります。

小学校の生徒達でも、1年生と6年生では、かなり{{生命}}について考えても、異なっているでしょう。

でも、「「自殺」」をしたら、もう二度と此の世に戻らないのですが、現実には、子供達が理解しているのか、どうかは不確定です。

 

 同じ子供達でも、「「死」」について、理解できている子供達も居るでしょうが、理解できていない子供達も居る筈です。

此の世に誕生して来るのが不思議でもありますし、それでも、そんな事柄なんか理解できません。

小学4年生よりも、低年齢でありますと、「「男」」と「「女」」の交わりも理解できないでしょう。

小学6年生頃になると、思春期前に近づきますから、それなりに、「「男」」と「「女」」の関係も少しながら、理解できるでしょう。

でも、自分の此の世の「「存在」」については、考える{{こころ}}は持っていません。

まだまだ、人生について考えるには、あまりにも年齢が充分でありません。

 

 俗世間の大人でさえ「「人生とは、何???」」、「「己とは、何???」」、「「自分の存在とは、何???」」などの理解が出来ません。

自分の{こころ}を確認するのが、人生で最大に難しいものでしょう。

「「自殺」」などする場合、親から叱られて「「自殺」」する場合もあります。

また、先生方から、叱られての「「自殺」」などもあり、しばしばと俗世間で「「裁判」」にもなっています。

こんな生徒についての「「裁判」」などが、新聞やテレビ、などのマスコミでも報道されます。

家族の中で発達心理を知っておくことが最大に重要ですが、マスコミの人達にも弁護士や裁判官にも「「臨床心理」」が勉強できていなければ、真実の「「原因」」を知る事が出来ないでしょう。

 

 表面上の{{出来事}}だけを見て、そんな流れだから、などと簡単に決めるのは、大変なのですがね。

子供達は、親に対してだけの{{悲しさ}}{{苦しさ}}などが積もって「「自殺」」する場合、また、学校での生徒達との{{関係}}で「「自殺」」や、先生だけとの問題で「「自殺」」などもあります。

でも、「「自殺」」が、親と生徒達と先生などへの{{不満}}{{恨み}}が、重なっている場合が沢山でしょう。

最大に注意すべきは、「「自殺」」は、親と当人の関係を精査すべきでしょう。