<<人生>>生きる!!!(5)

2011 年 11 月 30 日

 人生を、人間社会を肯定的に「共感」・「妥協」・「受容」、

時折に「拒否」でも良いですが、自分の心をハンドル操作できる事が重要です。

生きるか、死ぬか、などなど、時折には懸命に考えてみることですね。

やがては、必ず、「死」は自分の後ろから追いついて来ます。

急がなくても、良いのです。

人生を同じ生きるなら、楽しく安らぎ憩いの気持ちで過ごした方が良いです。

「平安」・「安らぎ」・「憩い」については、先述しました。

 

 自分の人生を生きるのには、「「運命」」、「「宿命」」、を背負って生きる事が大切です。

誰のせいでもありませんよ、自分が不幸と感じるのは、自分の考え方のためにですからね。

責任は、全てが自分に有ると考えた方が気楽なのですけれど、そのように考えた事がない人には理解できないでしょう。

所詮、人間って、生まれて来て自分の生活を生きるのに一生懸命だから、何かある度に他者を恨み嫉妬してマイナスの感情を持って生きるようになっています。

だから、注意が大切なのです。

自分の「「宿命」」と「「運命」」を背負ったまま、最後は、自分の「「天命」」を生きるだけの事です。

でも、ここまで、自分について、人生について、悟るのは大変でしょう。

 

 今、自分のやっている事、これが自分に与えられた人生の{{役目}}・{{役割}}など、この道より他に{{行く道は、無い}}と、明確に自分の行なっている事柄に納得し生きる事ですが・・・。

「「生きる」」とは、そんな考え方をしないと、疲れます。

目前の{{楽しみ}}、自分の{{楽しみ}}のみで満足して生きると、必ず、人生の道で迷う筈です。

一人孤独に、なってしまいます。

楽しみ、幸せ、喜び、嬉しさ、諸々の幸福は他者と分け合って生きる方が、長い目でみて自分が幸せになるでしょう。

 

 「「生きる」」とは、真剣に自分の人生を考える、また、他者の人生をも考え、自己中心的にならずに、エゴイストにならず、ナルシストにならないで生きる事です。

自分だけの幸福のために生きると、他者が自分を相手にしなくなるので、寂しく孤独になりますから、考えましょう。

但し、自分の最低限の生活基盤だけは、絶対に守って生きる事です。

どんなに、他人に奉仕しても、「「働かざる者、食うべからず」」ですから、これは「鉄則」ですね。

政治も宗教も「「良い政治」」もあれば、「「悪い政治」」もあるし、「「良い宗教」」もあれば、「「悪い宗教」」も有るので、自分の心を勉強して判断をしましょう。

<<人生>>生きる!!!(4)

2011 年 11 月 25 日

 親は、子供達がより良い人生を生きてくれる事を期待しながら、子供達を育てるのは当然でしょう。

親の苦労する分を、子供達には<<味あわせ>>たくありません。

「劣等感」を沢山と持っている親は、ともかく、「劣等感」を抱えていない親でさえも、子供達の将来を考えます。

「劣等感」を抱えている親は、自分の人生での「劣等感」を子供達に持たせたくないと、自分の「劣等感」を克服するために子供を育てる時に、叱咤激励をして子供達を育てようとします。

 

 「劣等感」を持たない、俗に、世間で秀でた親は、子供達が成長した時に、自分のような人間になってほしいと自分の地位や名誉にまで至るようにと、そんな考え方をして育てます。

俗世間で、有名な人達や地位のある人達が、そんな育て方をして子供達から殺生された事件も、過去において色々と有ります。

また、地位や名誉やお金持ちの子供さんが、立派に育つのかと、問われれば決して有能な人材に育たない場合も多々あります。

「「生きる」」って、優しいようで、難しいものです。

 

 幼い時から、学問にせよ、芸にせよ、親からスパルタ教育を強いられる場合もあります。

子供にとっては、大変な心の葛藤を背負う事になりますが、少しずつ年齢を重ねる毎に子供が如何に親の「会話」や「行動」や「心」を受け止めて育つか、どうかだけです。

子供達が育って大人になった時に、そう、青年期、青年後期、壮年期、老年期、末期において、親の「「超自我」」を無意識的にしろ、如何なる受け止め方になっているかで、その人が幸せかどうかが、決まるものですね。

 

 親の「「超自我」」も、子供達にとっては、子供達のその時の境遇によって、受け止め方が変わってきます。

子供達が<<生きる過程>>にて、どんな境遇に置かれたにしろ、親の「「超自我」」を有り難いと思える子供の生き方が出来れば、最良でありましょう。

 この事については、親も一度は子育てについて<<過去を振り返っておく>>のが良いのですが、子供達が自分の人生を生きる過程で、どのくらい自分の親の影響を受けているのか確認しておけば、これまた、最高の人生を送れるでしょう。

 

 「「生きる」」って、簡単なようで、現実には難しいですよ、昨今の子供達の「会話」・「行動」・「心」、最近の俗世間での「事件」や「犯罪」などを見つめると、大変です。

医療にても、宗教にても、真実なる<<自分の生き方>>は大変に難しいです、ね。

自分一人が喜んでいても、他者に「会話」・「行動」・「心」で迷惑をかけていては、駄目ですね。

 

「「「生きる・・」」」、少し立ち止まって一度でも考えましょう。

<<人生>>生きる!!!(3)

2011 年 11 月 24 日

 生きるか、死ぬかです・・・・。

前回の閲覧文も、ここから始まりました。

人間、此の世に誕生して来た以上、なかなか、自分の生命を始末するのは困難でしょう。

両親が居て誕生して、来ます。

また、両親の両親も居ます。

更に、親戚も居ます。

友達関係や知人関係、色々様々な人達との関係が有ります。

家族あり、成人した人であれば、会社とか同僚とか上司や部下なども居ます。

 

 悩み苦しみ始めると、人間関係も、既に、破壊されて壊れて関係ないでしょう、・・・・。

孤独のまま生きていますからね・・・。

突き詰めると、兄弟や両親とも<<心の糸>>は切れています。

折角、此の世に誕生を頂いたのだから、生命を大事にしたいものです。

誰も皆が、此の世を生きるのに、或いは、家族の中においてさえも、懸命でしょうが、多くの人達が「人生とは、何か???」、「己とは、何か???」、「自分の存在って、何か???」、「地上の生き物って、何???」、などなどを熟慮しません。

人生を生きるのに、自分の思い通りには生きる事が出来ません。

自分の能力・実力・力量などを知らずして生きる事を考えますから、人間社会で生きるのは難しいです。

 

 「「「生きる!!!!」」」、しっかりと、「人生」については熟慮しながら、本当に<<時折にでも良い>>から自分が立ち止まって自分について考えてみる事なのです。

人間って、自分の好きな物だけを追いかけて生きるし、自分の好きな人間だけを選ぼうとするし、自分の好きな環境だけを選ぼうとして生きるものです。

この考え方を、変えようとしないから、人生を生きるのが大変となります。

自分が自分の心を変えて目前の物ごとや環境に順応してゆくこと、これさえ理解できれば人生を生きるのが、気楽となるでしょう。

だが、人間は、誕生した時から、目前に「青い鳥」を探して生きるように育っています。

また、そんな風に、親から教育されて育ちますね。

 

 人生を生きるには、常に、親から、勉強、勉強、勉強、或いは、何かに一芸に秀でるように教育されます。

親の考え方は、子供達が大人になって人間社会に出た時に、地位とか名誉とかお金持ちなどを得るように期待しながら育てるものです。

子供達は、親の言われる注意される意見や助言を理解できません。

子供達で、一緒に遊んだ方が楽しいのです。

親の思った通りには、子供は育たないのが普通でしょう。

 

己を知り、「「「生きる」」」事が大切です。       

<<人生>>生きる!!!(2)

2011 年 11 月 22 日

 生きるか、死ぬか、自分がこんな事柄について心が囚われたら、最早、どうする事も出来ません。

自分で考え込んで、解決できません。

自分自身に拘っています。

{{拘っている事に気づかないので、本当に大変です。}}。

傍から、他者が当人に沢山のアドバイスをしても、届きません。

人間の思考力は、そんなものだと自覚しておくべきですが、普通では、人は人生を漠然と生きているだけですよ。

 

 本人は、一生懸命に自分の人生を生きている積りでしょうが、間違っています。

思考体系というか、多くの人達は<<体が疲れたら>>、何処かに自分の体に病気が有るのではないかと、考えます。

病医院に行って、沢山の検査をします。

最終的に、体の病気が見つからなかった時、どうなるかという事です。

人間って、体の病気があっても疲れ方は、違います。

例えば、体に<<癌が出来ても>>人は疲れません。

癌で疲れる場合では、随分と癌が進行して末期の場合ですよ。

癌が小さくても、できた場所によっては、かなり症状も表面化する場合があります。

 

 多くの場合で、進行性の癌があって、初めて、<<疲れがでたり、痛みがでたり、色々様々な症状>>もでる事があるでしょう。

一応、癌年齢になってから、体の症状が出た場合、例え、心の症状であっても、「「心理療法」を行うにあたり、体の検査はしておくべきでしょう。

「「心理療法」」を行うには、絶対に体の病気が無いという<<条件>>が重要です。

考えるとですね、人目で体の病気か、心の病気であるかは、簡単に分かるものです。

しかし、格別に、癌性病変、癌などの病気では、心の症状であり間違いなく「「うつ病」」・「「不安障害」」などと診断できても、そんな症状とか関連の無いまま、裏側に体の病気が隠されている場合もありますから、本当に注意が必要です。

 

 心が回復すれば、人間の体の症状も無くなりますから、余計に<<体の検査>>をしておくべきです。

時には、真実に心の病気であるのに、当人が<<体の病気>>だと自己主張する場合が多いです。

「「心の病気」」だと100%間違いない診断をしてあげても、自分は体の病気だと信じている人達が案外と多いです。

自分の心には、全く眼を向けずに、体のみ考える人達も多いから人間の「「病」」は大変です。

 

自分の心を知る「「心理療法」」を体験して下さい。  

<<人生>>生きる!!!(1)

2011 年 11 月 21 日

 さて、人生を「「「生きる」」」って、意味があるのでしょうか。

昨今では、生きるのが面白くないのか・・・、沢山の人達の{{自殺}}が増えています。

厚生労働省の方でも、我が国の{{自殺率}}を低下させるために一生懸命ですが、良策を見つけていないようです。

そうですね、もう、10年くらい以前からですが、日本では1年に35千人くらいの自殺者の数が続いています。

我が国だけの人数ですから、世界中の人間の自殺の数は、一体に、どのくらいの人数になるのでしょうか。

大変な、自殺者の数となります。

 

 若年者も高齢者も、青年期~成人期の人達も、人生を<自分で終わり>にしてしまいます。

人生を{{{生きる}}}のが、そんなに難しいのでしょうか???。

50億人~60億人、仮に、100億人〈未だ、地球上には100億人の人間は居ませんが〉、居れば居たで、誰も同じ人生を過ごす事はないし、考え方も違います。

此の世に生まれる事、そのものが不思議な誕生であり、本当に稀に、たまたま、生まれて来ただけですからね。

幼い時には、人生とは、なんて、誰も皆が考えませんし、生きる事、その事についての{{意味}}さえも考えません。

この事については、大人でさえ、或いは、高齢者になっても考えないのが、普通でしょう。

 

 {{{生きる}}}事について考えませんし、{{{死ぬ}}}事についても考えません。

自殺者は{{{死ぬ}}}事について、真剣に考えているでしょうか。

いや、生きる事、死ぬ事については、自分の心の判断ですが、頭の働きと自分の心の視野と言うか、狭いものです。

自分の心身を一番に大切にして、他者の境遇、他者の喜びや悲しみ、などは、理解できていません。

今の自分の境遇を判断していますが、他者の境遇については明確には、見えていません。

自分以外にも、沢山の人生での{{お荷物を抱えて背負っている人達&他者}}は沢山と居る筈なのです。

 

 自分は、悲しい、苦しい、駄目な人間、愚かな人間、生きるに値しない人間、惨め、孤独、寂しい、だから他人を恨んだり&嫉妬したり、誰がこんな自分にしたのか、などなど考えています。

要するに、他人のせいでこんなに自分も不幸を背負ったなどと、今ある自分を他人の責任と考えたりしますと、他罰的になります。

自分の不幸を、他人から負わされたとか、他人と自分を比較して、地位とか名誉とか金銭とか、諸々において<<負けている>>と考えたりすると駄目です。

 

「「「生きる」」」とは、如何なものか、時には熟慮しましょう。