<<自殺対策>>「自殺対策」について・・・9

2012 年 1 月 5 日

 そう、「「病」」なんてものもありまして、全ての人に取りつかれるものです。
予定になかった「「若年者」」でも、結構と、不治の「「病」」に取りつかれて、死ぬ場合も有りますよ。
病気にしても、自分の体から出て来る「「不治の病」」とか、場合によっては、自分の体の外側から外傷などを受けて「「不治の病で死ぬ病」」も多々とあります。
どんなに自分が注意をしていたつもりでも、不治の「「病」」に取りつかれるのですから、それは、悲しいものです。

 若くても、肉体的な気質的な「「不治の病」」とか、今に問題視されています「「うつ病」」などですね。
自分の体の外傷を「「機」」にして、「「うつ病者」」になって死んで行く場合も多々とあります。
或いは、外傷もないのに、いや、{{心理的な外傷}}と言った方が当然でしょう。
{{こころの外傷}}}なしに、{{こころ}}の病気になる方達は居ませんからね。
でも、皆さん方が考えている{{こころ}}の外傷体験で「「うつ病」」になったと言う人達が多いのですが、「「切っ掛け」」であって、本当の「「原因」」は、また、別のところに有ります。

 最近では、「「PTSD」」とか言う言葉が流行していますが、その前からですね、「「反復強迫」」と言う言葉が有ります。
ある事柄で「「うつ病」」になったとか、言いますが、その前にですね、{{こころ}}の形成が全てにおいて関与していますし、「「固着」」が問題だと断言しても良いでしょう。
何度も繰り返しますが、皆様方は、当方の記載した全ての「「事項」」を読みこなすのは無理でしょうから、そう言う事で同様の「「記載」」になるかも知れません。

 純粋に「「肉体的な病気」」もありますが、若年者では、多くの場合で、{{こころ}}に関連した病気が多いです。
幼い時の{{こころ}}の「「外傷体験」」って、なかなかと治らないですし、消去したくても消去できなくて悩み続けます。
自分の中に溜まった「「こころの歪なエネルギ―」」が、当人の内側に籠もってゆくのか、そんな場合の方が、「「心身症」」とか「「神経症」」とか「「パニック障害」」とか「「うつ病」」などになって行きます。

 「「歪なこころのエネルギ―」」が、外側に流れますと、「「事件」」や「「犯罪」」などとなってしまいます。
「「自殺」」の場合では、どちらかと言えば、「「歪なこころ」」が内側に蓄積されてしまい、最後には、内側に蓄積される場所が無くなったとも言えます。
どちらにしても、{{こころの病気}}にならないためには、人間の「「過去のこころ」」の中に、沢山の「「固着」」を持たずに、少なくしておく事です。 

<<自殺対策>>「自殺対策」について・・・8

2011 年 12 月 29 日

前回は、少しながら、特別な環境の「「話」」をしましたが、今回は、人間の{{こころ}}の話をしましょう。
何度も「「話」」をしましたが、矢張り、「「四苦八苦」」からの「「話」」が良いでしょう。
この言葉が、全ての人間の「「苦悩」」を説明していると、当方は思っています。
「四苦」」って、「「生」」・「「老」」・「「病」」・「「死」」ですよ。
何で、なんて、思う人も居るかも知れませんが、その方は、あまりにも、年齢が若いのか、それなりの年齢になれば、時間を取ってみて、理解できるべきでしょう。

面白いのは、自分の「「親」」に対しても、面白くないとか、嫌いとか、自分がかなり歳をとっても、親の「「考え方」」を許さない人達も居ます。
そんな{{こころ}}を抱えるだけで、自分では気づかずに、多くの「「歪」」な行動を取っていたりですね、或いは、悲しいかな、自分できづかないままで、「「親」」に沢山の反抗を「「行動」」をとったりもします。
また、{{こころ}}の中で、親を許せないばかりに、自分の「「眼差し」」とか「「顔」」とか「「表情」」とか「「自分の姿」」が歪になっている場合もあります。
また、親に対して、何らかの「「不満」」を持っていますと、自分の周囲の人達にも{{悲しい歪な表情}}が出ていますので、凄く、注意が必要です。

そして、「「親」」に対する不満や嫌悪感などが続く事で、長期間も自分で{{そんな気持ち}を治せないでいますと、時には「「死」」への気持ちも自分の{{こころ}}の中に浮かんでくるでしょう。
最近では、科学や技術や沢山の「「機器」」が進歩したと言えど、逆に、人間関係の{{こころ}}は疎ましくなって来ていますね。
{{こころ}}の交流が、上手ではありません。
幼い頃から、勉強以外では、遊び道具も沢山の「「機器」」で遊んでいます。
だから、余計に、{{こころ}}の歪な人間が増えると、思われます。

「「生」」ですよね、生まれる事や生きる事で{{疲れる}}と言うのです。
「「老」」ですね。
人間は{{名声}}や{{地位}}ができる程に、案外と自分の「「金銭」」にしても同じですが、長期間にわたり抱えていたいものです。
そんな「「思い」」をしている間に、すんなりと、人間は歳老いてゆきます。
年老いてみてから、自分はそんな予定は入れていなかったとか、その時になって初めて気づくものです。
面白いのが、「「名誉」」や「「地位」」や「「金銭」」や「「素晴らしいと思う異性」」を抱えても、やがては、{{別れ}}が来るものです。

自分の「「肝」」に命じておいてほしいですね。
人間は予定にないマイナスの事柄が、眼前に来ると、悩みます。

<<自殺対策>>「自殺対策」について・・・7

2011 年 12 月 22 日

 まだまだ、簡単に表現すればですね、人間の「「煩悩」」を適当にコントロ―ル出来れば良いだけですけれどね。

「「言うは易し、行なうは難し」」でしょう。

何時何時までも、大変で困難なのが、人間の「「煩悩」」を適度にコントロ―ルをすることなのですが、本当に難しいのです。

 

 何度か、皆様方に伝えていますが、繰り返して記載してみましょう。

人間の「「煩悩」」とは、数えられない程の「「煩悩」」が有るとも言われています。

人間の思いも、「「一念三千」」と言うくらいですよ、ね。

何故に、人間は悩むのか、そんな「「悩み」」に対して「「疑問」」を持てば良いのですが、私には「「悩み」」なんてありませんよと、悩みながらの本人が{{そう、思っています}}から、人間の{{こころ}}とは不思議なものです。

 

 互いに、自分の好きな「「煩悩」」だけを抱えて生きるのも大変ですから、お互いが他者の「「煩悩」」に合わせて「「共感」」する{{こころ}}が有れば良いのですね。

 それなりに、沢山の人間が居ますが、「共感」」の前に、「「妥協」」とか「「受容」」などが必要でしょう。

勿論、人間世界を生きるのには、「「拒絶」」も必要でしょう。

誰に対しても、「「受容」」と「「共感」」ばかりをしていれば良いと言うものではありません。

この方とは、絶対に「「相性」」が悪いのだと確実視したら、矢張り、「「拒絶」」は必要なのであり、誰とも皆と仲良くするのは無理です。

 

 人間、自分の事ばかりを中心にして生きると、必ず、{{こころ}}が疲れますし、{{からだ}}も疲れるものです。

 {{こころ}}も{{からだ}}も疲れてしまいますと、人生が次第にでも、嫌いになるでしょう。

「「人生」」を嫌いになれば、生きている「「価値感」」も少なくなります。

自分の「「人生」が面白くないですよ。

誰かとでも、誰かとでも、「「気持ちが合って」」から、初めて「「人生」」は楽しくなるものです。

友達と言うか、知人は沢山と必要ありませんよ。

一人でも仲良い友達がいれば、良いでしょう。

 

 人間って、面白いもので、人が嫌いならば・・・、特別に「「うつ病」」などになれば・・・、誰一人として「「気持ち」」が合う人は居ないでしょう。

そんな時には、山奥深くにでも入って一人で暮らしてみれば、また、「「寂しさ」」も分かります。

或いは、大海の「「絶海孤島」」にでも一人で暮らせば、矢張り、人間の{{こころ}}の弱さとか、{{こころ模様}}も少しながら理解できるでしょう。 

<<自殺対策>>「自殺対策」について・・・6

2011 年 12 月 20 日

 ここでは、「自殺対策」について述べていますが、一番に簡単なのは、何かについて自分の「「興味」」をしっかりと持っていますと、{{自分が自殺したい}}などと考える事はありません。

だから、人間が生きている以上では、何でも良いですから、自分の好きな物や事に対して「「興味」」を持てば良いのです。

「「仕事」」でも良いし、「「遊び」」でも良いのです。

ですが、「「遊び」」によっては、沢山のお金を必要とする場合があります。

 

 最近ですが、以前にもありましたけれど、「「遊び」」でも、カジノとか、或いは、どんな「「遊び」」にしても、人対人で{{大きなお金}}をかけて遊ぶ場合もあります。

そんな場合では、自分のお金が無くなれば、「「事件」」や「「犯罪」」なども起しますし、「「金銭面」」で他者から「「お金」」を巻き上げたり、気分も落ち込んで「「自殺」」する場合も起こります。

そうでありますから、「「興味」」を持つものは、何でも良い訳でもありません。

それなりに、自分の人生を生きる事について、最低限の「「価値感」」や自分の「「能力」」などにも気づいておかないと駄目でしょう。

 

 「「自殺対策」」などと言っても、一番に大事な事柄については、

医療者も「「自殺」」に関わる公務員の人達も気づいていません。

心理士などと、最近では言われていますが、「「心理士」」には、{{薬の投与}}ができないのです。

だから、心理療法士が直接に「「うつ病者」」の治療に関わるのは大変でしょう。

そうであるから、心理療法士は、日頃から、人間が「「神経症」」や「「うつ病」」などや、「「異常会話」」や「「異常行動」」など、「「異常なこころ」」にも、可能な限りにおいて、人間の{{こころ}}が壊れる前に治してあげる事でしょう。

 

 「「不安神経症」」のみでは、「「自殺者」」は少ないでしょう。

「「薬」」もあった方が良いと考えるのですが、症状の程度にもよるでしょう。

今や、世界中にて「「自殺」」が問題になっていると、言っても良いですね。

日本の国においては、自殺者に一生懸命に対応している積もりですが、数も少なくなっておりません。

家族の中での「「人間関係」」や社会の中での「「人間関係」」や俗世間での「「人間関係」」などが、一段と大変になっています。

 

 国の政策や各地方の政策などにも懸命になっていますが、未だ、「「自殺者」」の数は少なくなっていません。

当方は、何時も「「同じ言葉」」を繰り返しますが、「「うつ病者」」へは薬の治療だけでは困難ですし、{{こころ}}を癒せる方法、「「心理療法」」が最高に大事だと考えます。

「「カウンセリング」」よりも「「内観」」が大事です。

<<自殺対策>>「自殺対策」について・・・5

2011 年 12 月 19 日

 「「自殺」」についても、何度も先述しておりますが、原則に決まりきった事柄は、悩める人間が「「自殺」」するのですから、{{悩まない人間}}にしてあげる事です。

子供達の「「自殺」」についても、何も悩まずに「「自殺」」する事なんてありません。

人間の現在の「「会話」」と「「行動」」と「「気持ち&気分」」は、誰もが人間は皆、自分の「「過去のこころ」」に強迫されて生きていますから、「「過去のこころ」」を矯正させてあげるだけで充分です。

 

 中年頃までは、何がなんでも良いと考えますが、目的を持つ事、「「生き甲斐」」を持つ事が大事ですね。

「「生き甲斐」」の有る人は、決して、「「自殺」」なんかは出来ないでしょう。

そこで、大事な事柄は、医療の世界で「「悩んでいる人達」」に対して、「「薬」」だけの投与で治療してあげるのは駄目だと、当方は随分と長期間に渡って「「論壇」」としても述べたり、記載したりもしております。

 

 それでも、昔は50歳で{{人生は、夢幻}}だと言っていました。

そうであるからには、現在の人間は、50歳にもなりますと、「「死に甲斐」」を確立して生きるのが最良でしょう。

何故ですかね、「「生き甲斐」」を持ち続けていますと、自分の{{生命}}を滅する事が難しくなります。

「「死に甲斐」」だと、当方の意見は、この仕事、今の仕事をしていて、「「死」」が訪れてくれば、納得して自分の「「死」」を受け入れる事ができます。

人間の行く末は、どうしても、{{死にたくない}}、{{死にたくない}}などと嘆いても、必ずは、「「死」」は自分を待ち受けています。

 

 「「統合失調症者」」の「「自殺」」は、少しながら、「「感情」」が違います。

簡単に言えば、人生を全く理解できずに、勝手に「「悩んだり」」、「「誰かが、自分を追いかけて来る」」、「「自分の耳に囁いて来る」」などで、自分以外の他者から、操り人形のような状況で「「自殺」」に追い込まれたりもします。

「「統合失調症者」」以外では、精神錯乱状態で、此の世に{{自分が生きていても無駄}}なんて、そんな考え方は少ないですね。

 

 「「うつ病者」」や、その他の「「神経症」」などでは、多くの場合で自分の生き様に「「劣等感」」や「「自分の人生への悲観感情」」などが追いかけて来た末での「「自殺」」になったりするでしょう。

間違いの無い事は、「「自殺者」」は、多分に、自分の「「気持ち」」の中に{{不満}}・{{不平}}・{{悲しみ}}・{{劣等感}}・{{妬み}}・{{しっと}}・{{嘆き}}・{{怒り}}・{{恨み}}・{{憎しみ}}・{{怨念}、などなどを抱えて、自分の{{こころ}}、を昇華できないまま、自分を殺すか、他者を殺すか、どちらかの方角へ進むものです。

何処までも、自分の{{こころ}}を人格矯正するのが大事です。