<<自殺対策>>「自殺対策」について・・・14

2012 年 1 月 16 日

  人間の一生での{{こころ}}を、切磋琢磨して養ってあげるべきです、特別に自分の{{こころ}}を磨いておかないと駄目ですよ。
そうでないと、どんなに「「地位」」や「「名誉」」や「「金銭」」や「「異性」」を求めてから、自分の物になったとしても、決して嬉しくなって満足する事はないでしょう。

  「「愛別離苦」」などと、言う{{言葉}}もあります。
嘆かない、苦しまないと、皆の前で偉そうに言っても、現実世界では、自分の思う通りにならないのが、普通なのです。
 ですが、それが、なかなかと、理解できないみたいですね。
皆で「「話題」」について話をしても、「「人生」」とは、「「死」」とは、「「こころ」」とは、なんて言って話をしても、なかなかと皆さんは{{耳を傾けて聞こう}}としません。

  面白いのは、人間、地位、名誉、金銭、異性については、簡単に飛びつくものです。
欲しいものは、欲しいのです。
 自分の手元に入れますと、なかかと、手放したくありません。
動物や植物などにても、自分の愛着する場合が沢山とあります。
一方で、貴金属などもそうですよ。
値段が凄く高いものも有ります。
欲しいと思っても、手元には、なかなかと入りません。

  そして、また、面白いのは、人間同士の「「愛」」と「「苦しみ」」などですね。
自分の子供が誘拐されたりしますと、犯人から「「金銭」」を要求されたりもします。
 警察に、「「事件」」を届けるか、どうするかなどでも、悩みます。
多くの場合で、誘拐された子供が間違いなく戻って来るのであれば、「「金銭」」も支払いしたいのが普通でしょう。

  昨今の学校での子供達の「「問題」」などをみますと、子供達同士で「「いじめ」」や「「非行」」や「「暴力」」や「「登校拒否」」や「「不純異性交遊」」や「「時間」」や「「犯罪」」などなど、起したりします。
 自分の子供との「「別れ」」は、凄く寂しいものです。
でも、子供達が、学校で、或いは、社会で色々な{{問題}}を起した時には、親が協力して、子供達の{{こころ}}を何とか治したいと思えば良いのですが、結構と親は受け入れません。

  何度か、この{{愛別離苦}}という言葉は記載していますが、悩まない人間になるために、人生の「「有り様」」を勉強して欲しいですね。
人間同士の{{色々な別れ}}が有るものです。
 孫との別れ、また、曾孫との「「別れ」が一番に辛いですよ。
兄弟姉妹の関係でも、親の財産相続となりますと、子供達の{{顔色}}も{{こころ}}も全然と変わり、「「喧嘩」」をしますが、それが、人間だと言うものです。

<<自殺対策>>「自殺対策」について・・・13

2012 年 1 月 13 日

  前回でしたか、数回前ですよね。
「「四苦八苦」」の中で、残りの「「四苦」」について「「話」」をしていなかったので、また、話を少しながら説明して見ます。
大事な、「「話」」ですからね。
皆さん方も、「「肝」」に命じて覚えておいて下さいませ。

  残りの「「四苦」」ですね。
最初は、「「求不得苦」」について、話しましょう。
求めても、求めても、自分の手に入らない苦しみの事です。
それでも、人間って、面白いもので、この地球上に生きていますと、それでも、自分の思った物&者が欲しいものです。
愛する人〔異性〕が欲しい場合も、大変に悩むものでしょう。
漠然と考えている間は、まだまだ、辛い気持ちも{{漠然}}としているでしょうが、一旦でも、この人と「「愛」」して「「恋」」したいと思いますと、なかなかと自分の{{こころ}}から離れないでしょう。

 勿論、皆が皆、{{そう}}である筈もありませんが、其処が人間と言うもので、{{こころ}}のコントロ―ルが上手に出来ない人達も時折に見られます。
「「我慢のこころ」」が、自分の内側から外側に流れますと、「「事件」」や「「犯罪」」などまでを起す場合も出て来ます。
良くも、上手に人間の{{こころ}}を表現したもので、「「求不得苦」」などと、言う{{言葉}}を作っています。

  当方は、人間の{{こころ}}を凄く追求して日々を暮らしていますが、このように上手に人の{{こころ}}を表現するなんて、本当に素晴らしいものだと、気づかされました。
「「うつ病者」」の方達は、多くの場合で人間世界にある物や者に対して自分が、如何なる対応して良いかが不確定なのですし、また、そんな現状を自分の思うとおりにしたいのです。
自分の思うとおりにならなくて「「悩み」」・「「苦しみ」」・「「悲しい」」・「「憂うつ」」だなどと、嘆いています。

  最後には、自分の希望通りに「「此の世」」が動かないので、辛い、辛い、悲しい、苦しい、惨め、などと考えてしまい、「「死」」んだ方が気楽ではないかと思ったりもします。
求めても、求めても、自分の思う通りにならないのが、「「此の世の中」」ですけれど、何とか自分の思う通りにしたいのです。

 「思うがままに、ならなくて」などと言うのが、この世の人生の{{真実}}ですからね。

 こんな{{言葉}}もありますよ、「「諦めが、肝心」」なんて言いますが、本当に、当方は長期間にわたり「「心理療法」」をしていても、そう思います。

<<自殺対策>>「自殺対策」について・・・12

2012 年 1 月 12 日

 最近ですが、当方も、「「自殺対策」」についての話がありましたので、少しの時間ですが、参加してみました。
自殺を起した人達、自殺未遂の人達についての「「話」」が多かったみたいです。
その内のお一人が、自殺なんかは、その人の生い立ちに「「何らかのもの」」が有るのではないかと、「「話」」しておられましたが、正確な「「話」」までは出なかったですね。
それから、自殺未遂を起した人達について、家族への連絡などをしても、家族が「「関心」」を持ってくれないので、大変に困るような「「話」」もありました。

 当方は、即、当院に帰らざるを得ない「「状況」」が起こりましたので、「「話」」をする時間を持てなかったのが残念でした。
「「自殺対策」」については、自殺未遂の方々について「「話」」をしても、何だか{{筋違い}}のように感じます。
勿論、自殺未遂者が、また、自殺をする場合も多いですから、それはそれで、「「話」」の対象にはなるでしょう。
でも、悩める人達が、「「うつ病者」」の人達も含めて、悩まない人間になるのが最高に大事でしょう。

 何も「「悩み」」を抱えない人が、「「自殺」」する場合は有り得ませんでしょう。
でも、当方が凄く面白いと考えるのは、「「うつ病者」」が、結構と{{悩み}}が無いと訴える人も見られます。
「「うつ病者」」で、自分が悩みが無いと訴えるのですから、早く治してあげたいと考えても大変ですよ。
このような方達は、案外と、「「うつ病症状」」のみにとらわれて、簡単に「「自殺」」する場合もあります。

 勿論、自分の{{こころ}}の悩みに少し気づきながら〔当人は、あまりにも多い大変な悩みと考えているでしょうが、「「潜在意識」」と「「無意識」」の悩みには全然と気づいていませんので・・〕、このような方達も治癒させるには大変です。
でも、極一部の人達ですが、「「うつ病者」」でも、それなりに真剣に「「内観」」を勧めると、案外と受けてくれる人も居られます。
先ずは、自分が如何なる{{こころ}}を抱えているかを知るのが、一番に大事です。

 「「自殺対策」」では、人間が何事に対しても、悩まない{{人}}となる事です。
そのように、悩まない人間になるように、教育するのが、大事でしょう。
何度か、申し上げましたが、学校教育では、「「心理学」」が、凄く大事です。
勿論、子供達は、{{こころ}}だと言っても、案外と「「何」」の話か理解できない場合も多いでしょう。
それでも、子供達の「「頭」」にでも、少しでも{{こころ}}って、何だろうと思い出だしてくれるだけでも、人間には役立つでしょう。 

<<自殺対策>>「自殺対策」について・・・11

2012 年 1 月 11 日

  できる事ならば、庶民に日頃から「「こころの勉強」」をさせないと大変でしょう。
「「うつ病者」」の「「自殺」」が多いのですが、時には、「「統合失調症」」の方達も、自殺をします。
当方、可能な限り、幼い頃から「「反省」」の時間を持たせるのも良いと感じています。
大人になるまで、全く「「反省」」をした事の無い方達は、大人になってから自分の「「過去」」を振り返るようにお願いしても、なかなかと自分の{{こころ}}、を見るのが下手と言うか上手でない方達も見られます。

  日頃から、「「反省」」する能力を持てる人間にしてあげておかないと、自分の思い出を語るだけでは、{{こころ}}の底を深く覗けないのです。
自分の{{こころ}}の底にある「「無意識」」と「「潜在意識」」の世界を覗けない方達は、己の{{こころ}}と言うか、今の「「顕在意識」」を変える事が難しいものです。
同じ意味ですが、「「人格矯正」」が困難になっています。

 全ての人間の今の{{こころ}}は、自分の「「過去」」の{{こころ}}に裏打ちされています。

  一度だけ、話しましたが、人間は、自分の過ぎた「「過去」」の{{こころ}}の敵討ちをしている様なものでもあります。
しっかりと、人間の{{こころ}}を勉強していますと、当方の言っている{{意味}}も理解できるようになるでしょう。
自分の誕生から~~現在に到るまでの{{こころ}}が平坦になる事ですね。

 過去からストレスを沢山と持って育つと、現在の{{こころ}}は決して、平坦にはなっていませんよ。

  「「自殺」」なんて気持ちと言うか{{こころ}}も、全てが、自分の適当な範囲での「「正常なこころ」」を持っていません。
「日常生活の中で、所詮、適当な範囲で「「正常なこころ」」を抱えていると言っても、何がしかの、現在にて、それなりの、{{こころ}}の葛藤を担ぐ事で、自分の「「過去」」の余分に持っていたストレスが、「「鎌首」」を持ち上げて来て、余分に「「ストレス」」が大きくなります。
そうなる事で、人間の{{こころ}}も整理整頓が壊れてしまいますし、余分な事柄をしたり、「「会話」」も「「行動」」も「「こころ」」も変形してきます。

  人間って、「「五欲」」を持ち続けていますので、悟った、悟った、などと言っても、人生を真実に悟るには、矢張り、「「無常観」」→「「無我」」→「「涅槃」」までを悟っておかないと、色々な人間世界の{{事柄}}や{{事象}}に出会って、また悩んだりもするでしょう。
今は、「「自殺対策」」について話をしていますので、皆が真剣になって{{こころ}}を勉強するべきですね。
 
  親と子の過去の{{こころ}}の「「和解」」が最高に重要です。

<<自殺対策>>「自殺対策」について・・・10

2012 年 1 月 7 日

 「「死」」が、生きとし生きる人間にはぶら下がっています。
それでも、なかなかと、「「死」」を見つめようとしません。
悲しい人間の「「姿」」ですが、これが、でも、現実ですからね。
どんなに高齢にまで生きても、長く生きれば生きる程に、人間は色々な{{病気}}にもなりやすいし、最後には、{{認知症}}にもなってしまいます。

 仮に、自分は認知症ではないと考えても、他者から見れば、凄い程に「「認知症」」になっている方達も見られます。
或いは、「「認知症」」とは言えなくても、随分と頭の回転は弱くなっていますよ。
大変に興味あるのは、一般社会の人達には、人間が死ぬ事を生身のままで「「悟る」」事は、大変に難しいでしょう。
そんな事が分かっても、何も役立たないと言う人たちも確かにいるでしょう。
だが、現実にですが、生身のままで、「「死」」を悟るのが最高の境地です。
「「死」」を、生身のうちに悟った人でないと理解できないでしょう。

 「「無常観」」と言いまして、有名な言葉ですが、あまり、皆様方は知っておられません。
ここまで、人間の「「一生」」を悟ると、「「自殺」」なんかはしないでしょう。
お住職さんも、「「無常観」」については、なかなかと悟れません。
医師も精神科医や診療内科医を含めて、「「無常観」」は悟るのが難しいでしょう。
言葉では、理解できても、体で理解できない世界があるものです。
自分の命が欲しいと思う間は、「「悩み」」や「「悲しみ」」や「「苦しみ」」や「「嘆き」」や「「不満」」や「「嫉妬」」や「「妬み」」や「「恨み」」や「「憎しみ」」などが起こるでしょう。

 そんな人間にとって、マイナスの{{こころ}}が溜まれば溜まる程、己は疲れてきます。
多く皆さんが、「「死」」については「「話」」をするのを避ける傾向にあるみたいですが、時には真剣に「「話」」をする必要があると考えます。
人間は誰も、自分の親に対して、全くと、「「不満」」や「「怒り」」などを持たないで生きられるかと言えば・・・、時には、自分の{{こころ}}と「「生き様」」を確認しておかないと、頭の表面だけで「「言葉」」を語っても、あまり意味がないでしょう。

 人間世界で生きる事のためには、人間世界の「「矛盾」」とか「「不公平」」とかを、認める事も必要でしょう。    
正真で真面目に生きると言っても、所詮、人間は生物を食べて生きています。
それでも、素直にして自分の「「生き様」」を眺めないと、人間の愚かな「「生き様」」を理解するのは、難しいかも知れません。
自分以外の他者に対しても{{有り難さ}}とか{{恩}}を感じる事のできる人間は、「「自殺」」なんかは決してしないでしょう。