<<劣等感>>「「劣等感」」続編2

2012 年 4 月 10 日

 人間の{{こころ}}ですね、己の{{こころ}}を知っていれば、病気にもならないし、「「自殺」」も減ると言いました。
そう、必ず、「「自殺」」も減るでしょう。
何処の国も、同じでしょうね。
己の{{こころ}}を大切に教育している国は、今のところ、無いでしょう。
そう、世界中を見渡してみても、当方には「「そんな国」」は見えないですよ。
何故でしょうかね。

 医療費の高騰だけを叫びながら、金銭が足りないと、また、言いながら叫んでいるのは、今は、何処の国も同じなのでしょうけれどね。
庶民は、「「建前」」と「「本音」」も理解できませんし、使い方も知らないのですからね。
人間世界には、悲しい事実が存在しているものです。
そう、「「建前」」と「「本音」」だと言えば、しばしばと聞く言葉の筈ですが、この意味が如何なる意味なのかを、知りたいと思わないのが、また、大変でしょう。
この「「本音」」と「「建前」」の意味や使い方を知っていなければ、まだまだ、大人ではないですよ。

 人生を生きるのに、凄く大変に重要な言葉&会話の使い方があるのですが、これだけの{{意味}}でさえ、憶えようとしません。
何度も繰り返しますが、人生での会話ですね。
相手が一人であろうと、相手が集団の人達であろうと、その場、その場にて両方の言葉の使い方があるのです。
でも、面白いのは、「「建前」」と「「本音」」を使い方ができるにしても、そんな使い方の出来る人達でさえ、案外と自分の「「深層心理」」を知っていないものです。

 人間の頭と言うか、大脳の働きは、自分の外側を眺めて判断をするのに一生懸命なのですね。
「「得」」か「「損」」か、など考えながらで、眼前の「「得」」をする事柄に一生懸命です。
相手が「「得」」をして、自分が「「損」」をするのには、耐えられないのです。
眼前の事柄が「「損」」か「「得」」なども、案外と人生の末路まで見えている人達でないと「「表層心理」」の状況での{{使い分け}}になっているものです。
こんな言葉を「「話」」ますと、難しく聞こえるかも知れませんが、己の{{こころ}}を知っていないから、そうなってしまうのです。

 自分の「「真実のこころ」」と「「偽りのこころ」」と言った方が、理解出来るかも知れませんが、人生を生きるのに一番に大切なものです、ね。
そう、本当に人間が{{こころの世界}}を学ぶようになれば、病気も減ってゆくものです。
悲しいかな、何時の時代になっても、人間は「「己のこころ」」を学ぼうとしません。
「「己のこころ」」を知る事で、人生の全体像は簡単に見えてきます。
誰から、「「言葉」」や「「悪口」」で非難されても、納得できるでしょう。 

<<劣等感>>「「劣等感」」続編1

2012 年 4 月 6 日

 何時も、皆さん方とも、沢山の方達とも「「お話」」をしています。
普通では、なかなかと、皆様方も話をしません。
又、沢山「「劣等感」」を抱え過ぎていながらでも、自分の{{こころ}}に気付かないのです。
突然にでも、「「劣等感」」などと話を切り出すと、間違いなく周囲の人達は{{嫌いな雰囲気}}だと言うでしょうね。
そう・・・、間違いありません。

 人間の悲しい「「性」」ですか「「業」」ですかね、面白いと言えば面白いですよ。
自分の{{からだ}}にしろ{{会話}}にしろ、動かしているのは、全てが自分の{{こころ}}なのです。
そんな状況で生きている人達ですが、自分達の{{こころ}}には全く気付いていない方達も多いです。
驚く程に、沢山の人達が、自分の{{こころ}}って、何ですかと答えるでしょう。

 当方、出来る限り、皆さん方が自分の{{こころ}}について理解できるようにと、考えていますが、己の{{こころ}}を理解して頂くには、本当に大変です。
どんなに、傍から、{{こころ}}って伝えても、自分の{{こころ}}に気付いてくれる人は少ないですね。
そう、皆が幼い頃から、自分の{{こころ}}について学習させる制度ができるのが、最良と考えています。
例えばですね、小学4~5~6年生頃からであれば、自分の{{こころ}}について幾らかでも教える事は可能なのです。

 ですが、俗世間と言うか、文部省なども、政治家や官僚の方達も含めて、眼前を眺めて生きているだけですよ。
だから、他者を非難したり貶したりもします。
それが、人間世界だと言えば、仕方がありません。
でも、当方が気付いているのは、多くの人間が自分の{{こころ}}を明確に知ってくれれば、医療費も安くなります。
それは、人間が自分の{{こころ}}を知る事で、病気になる確率も減って来るからです。

 勿論、最近では、流行の「「自殺」」なんて言うのも、随分と減って来るのです。
「「自殺」」をするのは、自分の{{こころ}}に気付いていないし、己の目前の環境や人間に対して「「マイナスの感情」」を抱いているからです。
勿論、「「劣等感」」も同じでして、自分の{{こころ}}を明確に知っているならば、絶対に「「劣等感」」は持たないで良い筈ですね。
そうですね、当方は、絶対に人間が幼い頃から、自分の{{こころ}}を知る「「策」」を教育しておくのが最良だと、再度のこと、付け加えておきたいものです。 

<<心の世界>>感謝・恩・幸せ(10)

2012 年 3 月 27 日

 勉強だけを考え、勉強さえしておけば、親は喜ぶと、勉強を開始した人もいました。
親への「感謝」と「恩」は、全く考えず、勉強さえすれば、親は喜ぶものだと・・。
  親は、あまり口煩くないけれど、自分が<<勉強が出来れ>>ば、とにかく、親が喜ぶと思うだけで、神経質にもなり、他者に負けたくないと勉強する人も居ます。
  親が、あまり煩くないのだが<<とにかく、自分で勉強だけが一番と、睡眠が足りなくても勉強をする場合>>もあります。
 学生時代を通して、大学に入った時には直ぐに、既に、目的も生き甲斐も無く自分で自分の生活を始めなければと思うのだが、自分の進む方向さえ不透明となっています。

  ある年齢までは、未熟過ぎて<<生きていても良い>>のですが、その後が問題です。
目的も無く、唯、日々を生きるだけ、今の自分の生き様は、過去の考え方に「「裏打ちされている」」のに、全く理解出来ません。
  (不安、恐怖、各種神経症、うつ病、躁うつ病、各種心身症、非行、拒食、出勤拒否、アルコ―ル依存・・・・これらも過去のストレス、諸々ありますが!!!)、
今の現在に<<悩むとか苦しむとか不安や憂鬱や肩こりや腰痛、その他の全てが・・・・・・・>>、自分の過去の思いが重複となっているのです。

  人間の心・性格・人格、などなどが、どんな形で作り上げられてゆくのかが、全てに答えとして出てきます。
詳細に見ると、胎児として母親の胎内に居る時からですが、ここまで遡って親に文句を言っても仕方がありません。
親の因縁で此の世に誕生してから、新生児~乳児~小児~幼稚園~小学校~中学校~~更に、その後の、学校の生活、仕事や生活などなどの過程で<<自己同一性、人格>>などが作りあげられるものです。

  第1期の不信感は満2歳までに作られます。
  第2期の不信感は、その後の年齢で目前の対象を眺めて、 心が交錯しながら
作られます。
勿論、細かく見つめると、新生児や乳児の時までが、まだまだ重要な条件だと言われます。
乳児に、言葉もかけずスキンシップもなければ、人間として育ちません。
子供としては、育てられる過程で、親の言葉の一つ一つが子供の耳に突き刺さるくらいでしょうし、親の言葉が良ければ子供には優しい言葉として子供に植え付けられます。

  最初は、親との接触や夫婦の関係などが、子供の大脳の海馬に植え付けられていきますし、全てのストレッサ―が子供の海馬に蓄積されて{{子供の自己同一性}}が創造されて、満18歳からは{{人格}}として創造されます。
人間が、自分の過去を振り返り<<反省の無い限り>>自分達の海馬での{{心の沈潜}}は、そのまま残ります。

自分の人生を「「幸せ」」に生きるには、必ず、自分の過去を<<振り返り>>自分の「「海馬の心」」を矯正する事で、全ての人生の問題は開けて来るでしょう。

悲しみや苦しい思いも、全く反対となり、「感謝」と「恩」の思い出だけにもなります。

<<心の世界>>感謝・恩・幸せ(9)

2012 年 3 月 22 日

  一般の人達は、誰から話を聞かなくても、自分の事は自分が一番に良く知っていると言われるかも知れません。
そう、皆が同じように感じているでしょう。、

  少しばかり、一般の若年時の頃を振り返りますが、まだまだ随分と若年者の時に、親が「宗教」が嫌いだったから自分も「宗教」は嫌いとか、親が宗教を好きだったから、自分も好きだとか!!。
   また、そんな人達は他者から自分に言われる言葉や、他者が話しをする事にも、自分の耳に入れて、解釈したいと考える場合は少ないでしょう。
  正直なところ、勉強やこころの知識としてでも記憶しておかないと駄目と考えたり、{学習}だけが最大に大事だと考えて、{知識}を、記憶するだけの場合もあり・・・・・
いろんな人がいますね。

  時折、周囲に宗教に信心のある人が、宗教の話しを<<親への「「感謝」」と親への「「恩」」が煩く聞こえたり>>もします。
皆が、まだ、若くて未熟な時代が有るものです。
人間って、親が勝手に<<異性を好きで一緒になって>>子供が生まれただけだよと、そんな考え方を<<間違い>>ないよと、普通では、誰もが考えています。
実際に、当方も、親については、今でも、そう感じない訳ではありません。

  ですが、では、本当に{{人間世界とは、何か?}と聞かれ、その質問に合理的に答える<<能力を持ち合わせて>>いる人は、誰も居ないのではないでしょうか。
その分だけ、周囲の人達に対して、色々様々な{{余分な感情}}を抱いていますね。
あの人は、何時も自惚れているから、気にくわない・・・けしからん・・・嫌いだとか・・・一方で、自分よりも勉強できる人がいたら{やきもち}・{嫉妬}・{妬み}などなども抱えたりもします。

  運動でも<<負けると>>悔しいとか、自分は背が低いから<<もう少し高い>>と良かったとか、自分の幼い時にですね、そう、周囲の生徒達が先に成長しまして、並ぶ順序が次第に前になってしまい、それだけでも悲しい思いをする人達も居ます。 
何か、「劣等感」の塊になっていながら、自分の根源の心に気づいていません。
唯、背の{低さ}、或いは、背が高過ぎて{悩む}、更に、{勉強できない}で悩みます。
勉強については、自分が嫌いだから勉強しないので、成績優秀である筈が有りません。

 大勢の人達の前で話をできない事も辛い思いですが、そんな人達が沢山が居ます。
周囲の生徒達とも、皆と仲良くなれないなども、悩みますね。
もう少し、{人相}が良かったらとか、女性の友達が欲しいと考えても、女性の友達ができない、女性とは話をする勇気も持てません。
人間は、自分自身が<<何をする>>につけても自分に自信が無ければ、全てにつけて悩みを抱えてしまいます。

次の{{閲覧文}}で、詳しく続きます。  

<<心の世界>>感謝・恩・幸せ(8)

2012 年 3 月 21 日

  「幸せ」かどうかを、自分が感じる能力が無いと、大変でしょう。
その「幸せ」を感じる能力は、自分の{生い立ち}にまで遡る必要があります。
自分の人生が「幸せ」か「不幸せ」かどうか、ですよね。
物事を如何に感じて解釈するか、でありましょう。
同じ事柄を見たり聞いたりしても、人によって受け取り方が違います。
同じ人間でも、{生い立ち}が違うし、国々が異なれば文化なども違いますから、また、法律や道徳などで沢山と<<縛り>>がありますからね。

   同じ物でも、{受け取り方}や{感じ方}が違うし、そのような物事を眼前にして{嬉しさ}を感じるのか{何とも感じない}のか{面白くもない}と感じるのか、全然と違う訳です。
また、宗教への信心がある人達は、母や父よりも<<偶像の対象となる、神様の方が大事で、親よりも神様の方が全然と格段に上の位置にあり>>ますね。
とにかく、親よりも神様の方が大事な訳です。
世界には、色々な宗教があり、また、宗派までも枝派別れして微妙に<<宗派同士の自己主張も異なっている>>場合があります。
当方は、宗教を<<頭から、否定する気持ちは無いのです>>が、世界には有名で{良い宗教}も{悪い宗教}もあります。

  当方の気持ちは、人生は自分の人生だから、自分の人生観を自分で創造して自分の終末までを生きて欲しいと考えているのです。
悩まず、悲しまず、楽しく、嬉しく、自分の人生を喜んで生きて欲しいものであります。
大変に難しい世の中、俗世間、人間世界、色々様々の人間の集団があるので、必ず、{人間の心}については勉強していないと、時折にでも、心身ともに疲れます。
そんな疲れで、自分の心と体が疲れ果ててしまわないように、しっかりと自分の心を判定しておいて下さいませ。

  一体に、自分は真面目な人間か、真面目でない人間か、どうかですね、大変に重要な事柄ですよ。
自分が生きる過程では、必ず、他者や自分の思わぬ環境に出会って、その中で生きるのに必ずや遭遇するからです。
自分の周囲の人達が、皆が自分に親切にしてくれるかと言えば、決して、自分の期待通りにはならないものです。
他者には、他者の{生い立ちの心}が、常に、動いております。

  自分の周囲の他者が誰も幸せかと、問われれば、皆が自分の心に、葛藤を抱えて生きております。
他人の心を傷つけて、心の中で<<喜んでいる>>人達も案外と、多いですよ。
苛められても、傷つけられても、誹謗されても、自分の心と人生を喜んで生きるほどの力量を、自分で作っておいて下さいませ。

 皆さんは、{人生とは、何か???}を勉強しましょう。