<<劣等感>>「「劣等感」」続編12

2012 年 5 月 8 日

 ・・・・「愛別離苦」」・・・・・

 そう、「「愛別離苦」」についてから、「「話」」にはいりましょう。
上記の「「話」」をすれば、人間の「「男」」と「「女」」の関係に思うかも知れませんが、必ずしも、そうではありませんよ。
そう、簡単に言えば、確かに、人間の「「愛」」と「「恋」」とは美しいものですが、一度でも二人の間に{{嫌悪感}}でも起こりますと、なかなと、落ち着かないものです。

 二人のどちらかでも、「「人格」」に問題がありますと、大変な事柄も起きますよ。
「「事件」」や「「犯罪」」にも繋がってゆきます。
「「愛」」」と「「恋」」って、本当に美しいものですが、その美しく見える「「愛」」と「「恋」」の下に流れる{{こころ}}の世界では、本当に一度でも間違えると、恐ろしい怖い、別の{{こころ}}が湧き上がって来ます。
「「男」」と「「女」」の間で、{{こころ}}が常に綺麗に美しく流れると素晴らしいのですけれどね。

 また、人間は、一人では、自分の人生を生きるのが大変ですが、毎日が孤独になって辛くなりますので、自分にとって素晴らしい「「異性」」が見つからない場合では、犬・猫などの動物や、小鳥とか金魚や鯉を飼ったり、綺麗な庭を造ったり、或いは、はたまた、特別な{{生き物}}を飼ったりする場合もあります。
また、自宅の庭に「「盆栽」」を置いたり、作ったりと、しますね。
色々な{{生き物}}を飼ったりしますが、動物や植物も{{生き物}}ですよ。

 人間との「「愛別離苦」」だけでなくて、動物や植物との別れにても、案外と人間の{{こころ}}は落ち込むものですね。
{{こころ}}が落ち込むのは、簡単に「「劣等感」」に繋がって行きます。
表現が違いますが、「「うつ病者」」の方々は、必ずや、「「劣等感」」を持っているものです。
ですから、ここで、皆様方に知っておいて欲しいのは、「「劣等感」」」は無い方が良いと思うのです。

 時折に、こんな風に言われる人も居られます。
「「劣等感」」があるが故に、人生の「「バネ」」になると言われますが、「「劣等感」」にも表面に抱えている方達か、また、深層心理の中に「「劣等感」」を抱えている方達かによって少しは{{雰囲気}}も違います。
でも、当方は「「劣等感」」は絶対に持たない方が宜しいと、思っています。
{{こころ}}の底に抱えていた「「劣等感」」が、何時のこと、表面に浮き上がって来るのか知れませんよ。

 「「劣等感」」が、浮き上がってきますと、対人関係も{{歪}}になって来ますし、場合によっては、大勢の人達の前で、何も「「話」」もできなくなります。
「「優越感」」を持っていると言う人が居れば、それは、「「劣等感」」と同じでもあります。当人が気づいていないだけですから、ね。
「「劣等感」」も「優越感」」も無い方が宜しいです。

<<劣等感>>「「劣等感」」続編11

2012 年 5 月 7 日

 ・・・・「求不得苦」について・・・・・

 前回は、「「睡眠欲」」について「「話」をしましたが、「「睡眠欲」」だけではありません。人間の欲望って、大変なものです。
普通の状況では、多くの人達は、私は、たいした「「欲望」」なんかは持っていませんと言いますが、自分の{{こころ}}の底に動いている「「欲望」」に気づいていないので、仕方がありません。

 「「因縁・「「宿命」」・「「運命」」・「「天命」」などの中で、人間は誰でも「「欲望を抱えて生きているのが普通なのです。
但し、どの位の「「欲望」」を持っているのか、物事によっては、「「時」」と「「折」」と「「場所」」によっては、これ以上の「「欲望」」を抱えてはいけないなどの区別ができる人間であって欲しいですね。
人間って、本当に悲しい事に、自分にとって都合の良い物事は、全てが欲しいと思うものです。

 沢山と有りますが、別の例をあげますと、会社にても、長く勤務していますと、皆よりも出世をしたい思うもので、「「出世欲」」などとも言います。
同僚が、自分よりも先に「「出世」」しますと、{{こころ}}の中で悔しい悲しい思いもするでしょう。
また、立腹もしてしまいます。
面前で、自分の友人でもある男性が、素晴らしい美人を連れていますと、必ず、「「やきもち」」を焼くでしょう。

 それは、人間としての「「本性」」でもあり、当たり前ですが、そうだなあ、当たり前だと感じる人は素晴らしいですね。
そんな状況で、眼前の人間を褒めてあげる事のできる人達は、また、素晴らしいです。
でも、なかなかと、人間は{{他者を褒める事を知らない}}のです。
多くの人達は、他者から{{自分を褒めてもらいたい}}と思っていますよ。
人間の「「欲望」」には、大変なもので、困ったものです。
一人で此の世を過ごすのは、「「孤独」になってしまいますし、悲しく寂しく感じる思いもしますね。

 では、集団の中で一緒にいますと、やはり、周囲の皆から自分が何事につけても{{優位}}になっておきたいのです。
素晴らしい大好きな「「異性」」や好みの「「車」」とか、最近では、「「カメラ」」や「携帯電話」や「「iPad」」や、また、特別に男性よりも、女性の方が多いですが、貴金属、綺麗な衣服、履物、などなどについても、女性の欲望も際限がありませんよ。
簡単に表現すれば、「「食欲」」・「「性欲」」・「「名誉欲」」・「「金銭欲」」なども、男性ばかりでなくて、女性の「「欲望」」も大変なものです。

 どれほど、「「欲望」」をコントロ-ルできるかが、別れ目でしょう。 

<<劣等感>>「「劣等感」」続編10

2012 年 5 月 2 日

 今までに、「「生」」・「「老」」・「「病」」・「「死」」を中心にして、劣等感を述べて来ました。
今回からは、もう少し、別の状況から観察して行きましょう。
 「「求不得苦」」の言葉が有るように、人間の欲望には限りがないとも言われております。
そう、誰しもが人間は、生きている限り、眼前の物事を追いかけて生きています。
何時も、{{あれが欲しい}}、{{これが欲しい}}、自分のものにしたいとか、自分の手元に置いておきたいとか、考えています。

 簡単に説明すれば、「「五欲」」などの言葉もありますが、食欲・睡眠欲・性欲・名誉欲・金銭欲などといわれています。
では、自分には、そんな物などは、欲しくないと自己主張される場合もあります。
確かに、そうなのです。
人間は、皆が常に、「「五欲」」を満足させて生きるのは、とてもではありません、無理が有ります。
だから、「「五欲」」の中の一つでも良いから、これが欲しいなどと思っています。

 「「睡眠欲」」などは、特別な状況に置かれないと、理解が困難かも知れませんが、「「睡眠欲」」なども、凄く大事な欲求ですよね。
会社の中で、仕事、仕事などと追い立てられて、仕事の量が多いと寝る時間も無いほどに忙しい場合もあります。
 そんな状況で、我慢をして働いていますと、「「睡眠」」が足りないことのために、{{からだ}}まで疲れてきますし、その事で{{こころ}}までも疲れて来ます。
{{こころ}}の疲れた当人が、不安障害で終わる場合も有れば、「「うつ病者」」になって休職したり、病状が長引くと{{死んだ方が気楽}}だと思ったりもします。

 眠る時間が少ないと・・・、どうしても、{{からだ}}は疲れますし、{{こころ}}も疲れて来るものです。
何故って、こんなに働かされて「「給料」」は少ないと思ったり、何で働く量が多すぎるのかなどと、人生に「「疑問」」さえも、出てきます。
 会社、いや、自分の商売の仕事においても、人間は誰もが「「睡眠」」が少ないと、{{こころ}}は疲れるものです。
どうか、皆様に伝えておきますが、仕事などで「「睡眠」」が足りない時には、自分の状況を明確に考えた上で、今後の仕事についてどうするべきかなどと考えるべきです。

 どうしても、会社の仕事が多すぎる場合では「「睡眠欲」」で{{こころ}}が駄目になってしまいますので、病医院に行って「「診断書」」を書いてもらいましょう。
医師の「「診断書」」が有れば、「「診断書」」を持って会社に行けば、会社を退職させられる事はない筈です。
「「睡眠」」について話しましたが、人間は「「欠乏欲」が大きい過ぎると言われるくらいで、「「欠乏欲」」もコントロ-ルが大事でしょう。 

<<劣等感>>「「劣等感」」続編9

2012 年 5 月 1 日

  「「死」」の問題があります。
{{死にたくない}}、{{死にたくない}}などと嘆きながら生きている方達が多いことかと、感じております。
そうですね、己の「「死」」を認めれば、悩む事もないし、「「劣等感」」なども消えるのです。
自分の内なる「「劣等感」」を消してしまいたいと、考えれば考える程に、[「劣等感」]は大きくなってしまいます。

 当方から見れば、大変に面白いのですが、何度も繰り返して恐縮ですけれども・・・・・・、
「「劣等感」」を自分の{{こころ}}から消したいと考えても、消したい、消したいと思う程に、そんなマイナスの{{こころ}}は消えないのです。
沢山の「「劣等感」」を抱えていても、貴方は「「劣等感」」が多すぎると伝えたら・・・、立腹するでしょう。
「「死」」を迎えるのは、人間の自然の「「姿」」ですが、なかなかと、人間の「「本音」」でしょうかね、「「死」」を認めないのです、いや、考えたくないし、自分の「「死」」なんて思いたくないのです。

 仮に、「「死」」の話をしますと、多くの人達が機嫌を悪くして、「「話」」をする人から避けてゆきます。
人間の本当の「「姿」」を、見たくないのです。
そう、人間も、地球上に現れた「「単なる、エコロジカルな存在の生物」」だと、考える習慣を持っていません。
それほどに、人間は、自分が「「有能な別の生き物」」だと思っているみたいです。
そう、自分達は、特別に愚かな「「存在」」だと気づかないままで、生きているのです。

 気づいていないと言うのは、人間は他の生き物と比較して「「有能な存在」」だと言う観念が、絶対に無くならないのですね。
どのような生き物も、此の世に存在する全ての生き物は、「「死」」を迎えるのだと、自覚できないのだから、人間は大変な生き物ですね。
 
 当方が、こんな状況に拘るのは・・・、「「劣等感」」を消去する能力を持たないから、皆様方へ伝えているのです。
「「劣等感」」なんて、誰にでも、有るものだが、なかなかと、自分から「「劣等感」」を除去できないし、また、助言者から教えられても「「劣等感」」は消失しないのです。

 自分の「「過去」」を振り返り、どうしても、自分の過去の{{こころ}}のカラクリを勉強しない・・・・・、今が大変に幸せに見えても、自分の{{こころ}}の底では、悲しい気持ちが動いています。
この悲しい気持ちを気づいている場合と、同じ人でも気づいていない場合があります。
要するに、自分の過去の{{こころ}}を明確に調べる事でして、母と父に「「感謝」」と「「恩」」を感じる能力を失わない事です、ね。

<<劣等感>>「「劣等感」」続編8

2012 年 4 月 27 日

 {{病}}についてですね。
そう、こんな優しい事柄ですが、それを、人間は理解しないのです。
他人が病気をして、どのくらい悩んでいるかを、考えようとする人達は少ないですよ。
人生、此の世に誕生して来た時から、{{病}}はつきものですからね。
そう、勿論、多くの場合で、誕生してから、親の努力もあり、なんとしながら誰もが頑張って成長します。
しかしながら、赤ちゃんの時から、親の育て方が悪いと、人間として育たないのです。

 勿論、病気と言えば、先天性の器質的病気がありますが、そうでない場合なんかですね、親の育て方で{{どのような病気}}にでもなります。
{{こころ}}が捩れたままで、人間としては、育たない事もあります。
誕生した時から、いや、胎内でも{{こころ}}の病気が起こると言うくらいですからね。
胎内の胎児、新生児、乳児、幼児、小児、学童、生徒、学生、その後は、社会に出たりで人間関係の問題が出て来ます。

 人間関係の中で、人の{{こころ}}は常に形成されています。
でも、普通の言葉で語れば、誕生から~思春期までが{{勝負}}と言われるくらいです。
ここでは、純粋に「「体の病気」」は外しておいて、{{こころ}}の病気について主体的に説明しておきます。
それに、幼い頃から、育つ過程にて、人は自分の{{心}}の中にストレスを溜めて行きます、いや、育つのです。
幼い頃の{{こころ}}の外傷体験は、除去できないと言うくらいですね。

 ですが、当方は、別の{{考え方}}を持っています。
年齢的に見ますとすね、満2歳までが大事ですが、「「基本的不信感」」が付きまとうくらいですからね。
一般的には、3歳、6歳、9歳、12歳、15歳、18歳、21歳、24歳・・・・ですよね・・・。
青春期までが、人間の{{こころ}}の育成には最大に大切ですね。
幼い頃から、人の{{こころ}}は大事に育てる必要があります。

 幼い頃、即ち、自分の過去で解決できなかった{{こころ}}を「「固着」」とも言います。
どれほどの「「固着」」を抱えているか・・・ということで、{{こころ}}の歪さも大きくなったり小さくなったりです。
幼い頃から、人間は{{こころ}}の病気を持つようになっていますし、それ故に、「「劣等感」」の大きさなども決まってきます。
「「劣等感」」の多い程に、人間世界を生きるのに疲れますし、他者との{{こころ}}の「「妥協」」や「「受容」」や「「共感」」もできずに、時には、他者に対しても「「拒絶感」」のみで生きるから、人間世界を生きるには、如何に幸せにが大事です。