<<身代わり不可症候群>>身代わり不可症候群(追21)中学1年~3年生

2012 年 11 月 8 日

  中学1年~中学3年生までですよ。
この年齢になりますと、今では流行となっていますが、[{いじめ}]・{{暴力}}・{{自殺}}・{{家庭内暴力}}や{{学校関係暴力}}・{{不安障害}}・[{うつ病}]・{{拒食&過食}}、などなどと、その他にも、色々な症状が見られます。

  そんな症状の出るまえに、まあ、常に重なっている場合が多いですが、人間から(「ストレス」)を取り除く事を勉強したら良いのですが、これまた、人間が[{こころ}]の勉強をしませんから、大変ですよ。
一般に、不安・悲しみ・苦しみ・悩み・惨めさ・怒り・恨み・怨念・などなど、劣等感なを含めて、所謂、諸病気の裏側には、必ず、マイナスの{{こころ}}が流れています。

  全ての人間の一番に大事な[{こころ}]は、「「身代わり不可症候群」」について明確に理解出来れば、何も言う事は有りません。
全ての[{悩み}]は、消えて行くと、言っても良いでしょう。
多くの皆様方は、案外と自分が{{得}}をする事柄だけを考えて生きております。
時には、静かにして、己の{{こころ}}を点検しましょう。

  中学になりますと、最早、あまり難しい言葉を使わなくても、自分の[{こころ}]を調べる能力は備わっていますよ。
唯、目前で、{{こころ}}の授業をして、学んで下さいなんて言っても、役立たちません。
まとめて、悩み・苦しみの原点は、自分の事柄ばかりを考える時から、諸症状が湧き上がって来ます。
最近では、{{いじめ&自殺}}が日本全国の場所で、流行になっています。
これらの事件&犯罪などは、つまるところは、子供達の親が悪いのです。

  多くの子供達は、「「身代わり不可症候群」」の意味が理解できなくても、無意識的には、自分の痛みと他人の痛みなどが、理解できるでしょう。
しかしながら、自分の母親や父親や、兄弟姉妹に沢山の恨みの({感情}))を抱えている方々は、自分の目前の[{善}]と({悪})の判定が出来なくなります。
「「愛」」と「「憎しみ」」の相反する気持ち&感情を、「「アンビバレンス」」とも言いますが、こんな「「アンビバレンス」」を持っている方々は、{{善}}と({悪})の区別が出来なくなるものです。

  ですから、学校でも、{{いじめ}}なども、{{いじめ}}を与える人間の当人と親の教育が最高に重要です。
勿論、({いじめ})など(受ける側)も、子供と親の教育が大事です。
いじめられる子供たちは、表情とか人相が活気に溢れていないですよ。
それは、何故でしょうかね、当然に、親と子の{{こころ}}の関わりが上手くできていないからです。

両者の{{こころ}}の治療が、最高に大事ですし、親が、子供に好かれる事です。

<<身代わり不可症候群>>身代わり不可症候群(追20)小学4年~6年生

2012 年 11 月 7 日

  そう、小学4年生~6年生までにしましょう。
少しずつ、自我の成長を来して、更に、自分と、他の人間の立場、立場なども理解するようになります。
勿論、あまり、自分の{{こころ}}に執着しないで、生きている場合もあるでしょう。
だが、人間って、必ず、この年齢でも、悲しいとか嬉しいとかの判断は出来ますよ。 

  そんな({判断}}ができるのは、必ずや、何らかの({比較}}をしていますので、嬉しいとか、悲しいとか、腹立つとか、惨めだとか、妬みなどの{{こころ}}が出来てきます。
既に、小学生では、低学年でも、或いは、特別に,高学年では、他人とも比較します。
先ずは、勉強でさえ、自分の方が頭が悪いとか、頭が良いとか、スポ―ツにしても、何事にしても、自分が選択するだけでなくて、自分の周囲の人間が{{自分と他人}}の選択をします。

  ここには、当然に、比較が有りますよね。
仮に、自分の方が格下に周囲から見られた場合などは、悲しくなるのが普通でしょう。
人間って、皆が、自分は周囲から{{良く、思われたい}}などと、考えて生きています。
周囲の人間から、貴方は{{駄目な人間}}だと判断されて、喜ぶ人は、誰ひとり居ないでしょう。
勉強は言うまでもないでしょう、スポ―ツでも、最近では、随分とスポ―ツにも人気が出ていますので、運動神経が良いとか、背が高いとか、力が弱いとか、何事につけても、他人よりも優秀でないと、駄目人間になってしまいます。

  スポ―ツでも、色々とあります。
勉強でも、色々とあります。
また、音楽とか、各種類の芸術とか、ありますから、そんな事ぐらいは、直ぐに、判断が出来るでしょう。
小学生の高学年で、自分よりも{{優秀な人間の立場}}ですね、自分の方が劣っているのです。
そんな駄目な自分が、他の人、{{優秀な立場の人間}}の身代わりなんて関係ないように見えるでしょう。
そう、自分が劣っているからこそ、優秀な立場の人間を理解してあげる事が重要でしょうが、まだまだ、この年齢では、自分で気づくのは難しいでしょう。

  案外と、自分の家族の人間、特別に、親に対して、{{こころ}}の葛藤を抱えますと、大変に悩む人間になってしまいます。
人間によっては、他者を恨みながらでも、自分は何も{{悩みは無い}}と言う人もいるくらいです。
こんな考えかた、{{自分には、何も悩みは無い}}と言う人達がいますので、彼らには、{{こころ}}の話しをしても、大変に難しく、理解などしてくれません。
でも、{{こころ}}の治療、[{心理療法}}を体験すれば、理解が可能です。 

<<身代わり不可症候群>>身代わり不可症候群(追19)小学1年~3年生

2012 年 11 月 6 日

  そう、7歳から~10歳までを見ましょう、ね。
何故に、自分の過去を眺めるのですかと、思うでしょう。
そう、みんなですよ。
誰も皆が、自分達の過去の{{こころ}}を見つめるのに({うれしい})とは、思いませんし、疑問に思うだけでしょうからね

  それ程に、人間の{{こころ}}は、不思議なものですよ。
人間の{{こころ}}が変わりますとね、そう、その人の{(脳脊髄液)}が良い方角へ変化するみたいですよね。
そんなだから、悩まない人間になるのです。
多くの人達は、誰も皆が、自分の考え方が正しいと思いながら、悩んでいます。
面白いものです、よ。

  7歳だと言えば、もう、小学校1年から~3年生にもなります。
家庭の外側で、沢山の人達と、あらたに{{ことば}}や{{かいわ}}などを、しなくてはいけません。
そんな状況に置かれて、また、新しい事柄を学ぶのです。
でも、自分が{{得}}をする事ばかり考えるので、他人が({損})」をしてもいいなどと、あまり、自分の{{こころ}}」を、こんな考え方では駄目だと思う方達は、少ないのです。

  大変なのは、小学校に入っても、周囲の人達と、必ずや、自分と比較します。
あれやこれやと、比較しながら、まあ、人間は何歳になっても、自分の({こころ})を失うと駄目なのですが、この小学の低学年頃から、自分の自我に少しずつ目覚めるものです。
この年齢になりますと、({良い})と({悪い})の区別などは、余程の事に、{{こころ}}の葛藤を抱えていなければ、誰もが幼い年齢にしても、既に、理解できます。
大変なのが、この年齢では、「「身代わり不可症候群」」の言葉は難しいかもの知れませんが、無意識的には、判断をしていますよ、何事につけても、ですね。

  家族の中で、兄弟姉妹がいれば、矢張り、そんな人達の中で、自分が({得}}をしたいとか、({損}}をしているとか、食事でも、自分の副食や、衣服、お手伝い、などなど、何事につけても、自分が({得}}をすることばかり考えているでしょう。
そんな年齢ですからね。
家族の中に、兄弟姉妹が居なければ、また、他の家族などと比較しまして、自分の「立場を比較します。

常に、自分が({損}}でないか、どうかなどですね。
又、自分の親ですね、お母さんやお父さんについても、他の家族との比較をしますよ。
自分の親は、自分にとって、立派な優しい親かどうかですね。
何事にも、比較するのが、この年齢で、既に、起こっています。 

<<身代わり不可症候群>>身代わり不可症候群(追18)

2012 年 11 月 2 日

  「「五蘊盛苦」」です、よ。
人間の煩悩は多いもので、人間が自分の{{こころ}}をコントロ―ルをするのには、大変に苦労をしています。
108の({煩悩})とか、言いますが、人間の({こころ})は、多すぎて大変ですよ。

  {{あれが欲しい}}、{{これが欲しい}}とか、人間は何でも、自分に都合の良い物事が有れば、好きなように求めます。
自分の都合の思う通りには、物事を運べないと、悲しんで立腹します。
人間世界、此の世に生きていて、自分の好きなように生きる事なんて出来ません。
{{こころ}}の、未熟な方達は、悩まないで生きるなんて不可能でしょう。

  当方は、長年月間にわたり、({心理療法})を行っていますが、「「優越感」」しかないよと言う方達も、無理矢理に、無意識的に、「「劣等感」」を内側に押し込んでいるだけですよ。
自分の真実なる{{こころ}}に気づいていませんから、面白ものです。
私は、真面目で立派な人間、悪い事柄などした事は無いと言ったり、皆から褒められて当たり前だと思ったりもします。
人生を生きるに当たり、誰からも({悪口})を言われて当然だ、私は有能でないよと言われて当然だと認知するのが凄く大事ですよと。

  人間の({煩悩})で表現していますが、人間の{{こころ}}は「「欠乏欲」」とも言われています。
何でも、眼前の物事を欲しがるのです。
人が({追い求める物事})には、限りないとも言われます。
そして、自分の思う通りにならなければ、怒り苦しみ悩みます。
また、周囲の方達を恨んだり、憎んだり、悲しんだりします。

  誰もが、人間の生き様は、それなりに、苦しんだり喜んだり、悲しんだり、恨んだり、喜怒哀楽などと言いますが、それほどに、面白いものでしょう。
真面目でないのに、真面目だと、自分の事を思っているのです。
人間の欲望は、限りないと申しましたが、本当にそうなのですよ。
ともすれば、欲望を({山のように抱えていて})も、私には、そんな欲望はもっていないし関係が有りません、などと言う方達も居ます。

  簡単に説明すれば、「「異性」」、「「貴金属」」、「「衣服」」、「「自分の身長」」、「「自分の容姿」」、「「金銭」」、「「名誉」」、「「地位」」、「「大好きなペット」」、どんな物や、どんな出来事でも、人間は欲しがるものです。
そう、結婚したくても、結婚できない人達、人間関係の出来ない人達、結婚しても子供の出来ない方達も、大変に辛いものです。
本当に、人間は面白いものです。

最後になりますが、「「身代わり」」、「「身代わり」」できる人になる事です。
「身代わり不可症候群」」、「「身代わり不可症候群」」には、ならないで下さい。

<<身代わり不可症候群>>身代わり不可症候群(追17)

2012 年 11 月 2 日

  今回は、人間世界の、そう、裏側の世界を覗いてみましょう。
「「怨憎会苦」」なる、言葉があります。
そう、どのような意味かを知らせておきます。
自分の身の回りには、必ずや、一人か二人は、嫌いな人間がいると言う言葉です。
皆様方も、自分の幼い頃から、自分の生き様を点検してゆきますと、色々様々な事柄を思い出しますよ。

自分は真面目な人間、そう、皆が思いたいのです。
真面目な人間だから、他人には良く思われたいとか、賞賛を浴びたいとか、優秀な人間に思われたいのです。
そんな風に思われたいと考えても、自分は何も良い{{こころ}}や良い({物事})を持たなければ、誰もが自分を褒めてくれる事もないでしょう。
自分の傍に居る方々が、自分を賞賛してくれない場合では、多くの場合で立腹しますよ。

  憎むと言っても、色々な場合が有ります。
簡単に言えば、多かれ少なかれ、({怨憎会苦})などで表現しますと簡単ですよ。
自分の考え方や、自分のやっている事柄などに賛同してくれなければ、簡単に人間は怒りますし、相手の人を恨みます。
自分を満足させてくれなければ、相手に対して、{{不満}}や{{恨み}}や{{怒り}}や、人間には{{悲しい感情}}が入ります。そんな人間ですが、自分の{{思う通りに、ならないこころ}}や{{自分の思う通りにしてくれない人や、その人のこころ}}に対して、随分と「「劣等感」」なども抱えてしまいます。

  相手の気持ち、相手の立場、相手の{{こころ}}を充分に理解してあげると、相手の状況にも「「同情」」できるようになりますよ。
相手の{{こころ}}や相手の{{状況}}に納得できれば、「「劣等感」」も「「怨憎」」なども、簡単に無くなります。
相手の「「身代わり」」ですよ、相手の{{こころ}}や{{きもち}}などを理解してあげる事が出来る人間になる事ですよ。
その事で、繰り返しますが、「「劣等感」」や「「悲しみ」」や「「苦しみ」」や「「悩み」」は減ってゆくのです。

  「「身代わり」」。「「身代わり」」できる事が大事で、「「身代わり不可症候群」」の人間にならない事ですよ。
上記の事が出来れば、「「身代わり」」ですよ・・・人格というか、{{こころ}}の水準と言うか、このような簡単な{{こころ}}の世界が、なかなかと理解出来ない人達が案外多いです。
真実に理解できれば、身代わりできますね。
「「身代わり不可症候群」」って、言葉を理解することが、人間世界を生きる上で大事な言葉ですね。
皆様方も、必ず、この言葉は、一度でも構いませんから、エゴイストにならないで、「「身代わり」」できるのか、「「身代わり」」できないのか、知って下さい。