<<人生>>(21)人生とは

2013 年 6 月 14 日

  そう、70歳頃ですよ。
もう、70歳にもなれば、人間の{{こころ}}は固くなるだけでしょう。
例外は、ありますがね。
この年齢でも、人生に悩み苦しみ、自分の人生が如何なるものかを、納得できない場合もあります。

  この年齢でもですね、「「心理療法」」を体験してみるものです。
自分は真面目に生きて来たから、真面目な人間だよと{{自惚れて}}生きている多くの方々は、あまり良い生き方ではないと考えますよ。
人間が悩む場合では、何度も言いましたが、自分の思い通りになっている場合では、誰でもが、私は立派な人間だと思っています。
当方は、どんな学者で有名であっても、或いは、まだまだ、無名であっても、それなりの人間全体の「「人生観」」を持っている方々の方が立派だと思うのですよ。

  「「人間学」」だと伝えても、伝わらないでしょうからね。
「「人間学」」なんて言いますと、何で、なんて言うでしょう。
人間の{{面白さ}}と言うか{{悲しさ}}と、言った方が間違い有りませんでしょうね。
全然と自分の{{こころ}}について考えようとしませんから、人間って、不思議なもの、大変なものですよ。
人間の{{こころ}}を、「「顕在意識」」とか「「潜在意識」」とか「「無意識」」なんて説明しますと、どうして、そんな考え方をしなければ駄目なのですかと、聞かれます。

  自分の{{こころ}}の全部を知っていて、初めてコントロ―ルできるのです。
そのような説明をしても、理解できないようですから、人間の性分は大変なものです。
前回も述べていますが、「「不安障害」」や「「うつ病」」などの方達でも、私には、悩みは何も無いと答える人達が居ますから、大変なものです。
しかしながら、「「内観」」は、人間にとって、誰にでも必要なものです。
どんなに悩みが無い、悩みなどには、私は関係ないよと言う方達にも、素晴らしい勉強になるでしょうからね。
間違いありません、よ。

  「「内観」」は、体験した方達でないと、全く、理解できないので、仕方が有りません。
でも、どんなに、私には無関係だと自己主張する方達でさえ、「「内観」」を体験すれば、真実に自分がどのような人間かを知るでしょうからね。
そうですよ、私にも{{こころ}}の形が有ったと言うでしょうからね。
{{こころ}}の形を理解できる方々では、他者の気持ちも、理解できる筈ですよ。

  もっと詳しく、人間の{{こころ}}を知りたいと思えば、少しでも「「内観」」を体験したうえで、他者に対して、「「内観面接」」や「「カウンセリング面接」」などを、体験するべきでしょう。

<<人生>>(20)人生とは

2013 年 6 月 11 日

  さあ、60歳を過ぎて、60歳の後半にしましょうかね。
この年齢になっても、殆どの方達は、自分の{{こころ}}を知っておりません。
70歳に近くなっているのに、全く、自分の人生、いや、他人の人生にも気づいていないでしょうからね。

  先ずは、当方が何度も繰り返して伝えていますが、己は「「死ぬ」」と、言うのが理解できません。
何度も繰り返して言うのですが、他人が死んでも、いや、自分の親が死んでもですよ。
自分の親が{{死ぬ}}事は、親が子供達に、人間には必ずや「「死」」が有るものだと、親の体でもって教えてくれているのですがね。
また、勿論と、子供や孫が先に死ぬ場合でも、親たちは「「死」」を子供達が教えてくれていると考えません。

  「「死」」については、本当に簡単な事実ですが、本来的に、人間は{{自分の死}}を受け入れないみたいです。
何故、此処で、「「死」」について記載するのかと言えば、己の「「死」」を受け入れた時には、殆どの全ての「「悩み」」や「「苦しみ」」や「「恨み」」などの感情は消失して行くからです。
現実に、当方がこんな話をしても、人間は理解できないのかも知れません。
では、何故って、そう、頭だけででも聞いておくならば、時代が過ぎてから、あの時には、当方が「「死」」について話をしていたのだと気づいてくれれば、それでも、少しながら役立つ事になります。

  「人生とは」の「「タイトル」」で記載していますよね。
そうであるから、人間の{{こころ}}について、可能な限りで、お伝えしています。
出来る事ならば、悩まないで苦しまないで、人生を生きて欲しいとお願いしています。
でも、そうであるから、少しくらいは、人生について、{{こころ}}について学んで欲しいと考えます。
何度も、繰り返します。
時折にでも、「「人生とは、何???」」で考えて欲しいものです。
勿論、一度、少し考えただけで、「「人生」」の答えが見つかる方々は居ない筈でしょう。

  でも、とにかく、周囲の方達と仲良く、「「不安」」、「「悲しみ」」、「「辛さ」」、「「嘆き」」、「「劣等感」」、「「自惚れ」」、「「優越感」」、「「怒り」」、「「不満」」などなど持たなければ、人生を気楽に生きる事が可能です。
でも、そんな{{こころ}}を確立するのが、難しいのです。
先ずは、自分の生い立ちの過去から{{自分のこころ}}を調べる事ですよ。
母親、父親、或いは、自分を育ててくれた方々について、調べて下さいませ。
自分の{{こころ}}の反応が、如何なる状況で流れていたかを知る事なのです。
直ぐに、男性は平均的に見ても、人生の終わりが近づきます。

<<人生>>(19)人生とは

2013 年 5 月 30 日

  人生って、もう一度でも、「「因縁」」・「「宿命」」・「「運命」」、などなどについて、記憶して下さいませ。
凄く、大事な言葉ですよ。
全ての人間は、自分の「「運命」」を理解して欲しいのですがね。
しかしながら、人間の悲しいのは、自分の「「深層心理」」を知らずして、眼前の状況を判断しようと、何時も考えています。

  60歳になっても、相変わらず、人間の{{こころ}}には、進歩が有りません、ですよ。
何故ならば、己の{{深いこころ}}を調べていないので、人間は、眼前の判断能力の進歩が遅いのです。
当方から見れば、本当に、人の{{こころ}}は進歩が少ないですよ。
自分の生い立ちの無意識の{{こころ}}で、眼前の現象を判定するのです。
人間の判断能力は、全てにおいて、己の{{過去}}が基本になっています。

  この年齢では、そう、60歳頃では、定年などもあり、どのくらいの{{退職金}}などが有るのか、また、退職したら、如何に生きるかなどなどで、案外と決定できない方々も見られますからね。
己の「「運命」」を素直に理解できていれば、良いのですが、間違いなく、沢山の方々が理解できていないでしょうからね。
この年齢では、益々と、配偶者などとも「「別れ」」が増えますでしょうし、子供達との「「別れ」も増えますし、勿論、新たな孫達との「「出会い」」も出て来るでしょうが。

  最近では、定年を65歳にするなどの{{話}}もありますが、未だ、決定的に法律で決めたものでもないでしょうからね。
年齢を重ねる度に、それなりに、{{こころ}}の成長が見られる人達と、少しずつ、幼児帰りしたり、いや、一挙に、幼児帰りする方達も見られます。
本当に、人間の{{こころ}}って、面白いですよ。
それほどに、{{こころ}}は変わるもの、悪い方に、ですよ。
良い方角には、{{こころ}}はなかなかと、変わりません、ですね。
可能であれば、人間の一生を{{知っておく方}}が良いですよね。

  特別に、最近になってから、親達は、案外と自分で「「金銭」」を最後まで持っておく方が良いのかもしれません。
人間が長生きをするようになってから、四っつの「「死因」」は、癌性病変、心臓疾患、脳血管障害、認知症、ですよ。
60歳から、60歳を過ぎると、自分の人生を納得するのが大事ですよ。
そんなに伝えようとしても、人間は、「はい、了解です」なんて答えても、頭だけですし、体で理解するのとは違うのです。
この年齢で、「「自我」」は壊れるのか、成長するのか、でしょうからね。

<<人生>>(18)人生とは

2013 年 5 月 28 日

  50歳の半ばを過ぎてから、60歳の前までを考えてみましょう。
いよいよと、人間の新鮮な{{生き様}}も、終止符が近づいて来そうですよ。
でも、こんな年齢になっても、人間の{{こころ}}の歪み具合は、幼い頃と変わらずに残っている方々が沢山とおられます。
残念ながら、人間は、殆どの場合で、己の{{こころ}}を知っておりません。
何時も、申し上げますが、人間の{{こころ}}は、「「一念三千」」と言いますように、人間の{{こころ}}は、それほど色々と多いものです。

  こんな年齢になっても、なかなかと、自分の人生を悟れないものです。
いや、人間全体の「「人生」」を悟れませんからね。
これが、一番に難しいでしょう。
「「人生とは、何か??」」と聞かれて・・・・・、答える事の出来る方々は、全く居ないでしょう、からね。
それほどに、「「人生とは」」、などと聞かれますと、簡単に答えられそうですが、それができないのです。

  人生を生きるのに、何度も繰り返して言いますが、如何に生きるのかが、大変に難しいものです。
本当に何度も繰り返しますが、悲しくて辛いものです。
当方が、これほどに伝えても・・・・・、人間は、自分の{{こころ}}の持ち方が理解できないのですよ。
皆が、自分の{{こころ}}を知っていると言いますが、皆が自分の{{こころ}}を知っているかと言えば、間違いなく、自分の生い立ちの過去の{{こころ}}を知っておりません。

  どんなに、私は自分の{{こころ}}を知っていると答えても、己の「「潜在意識」」や「「無意識」」=「「深層心理」」を知っていなければ、全く役立たないですよ。
人間世界を簡単に、お金儲けが上手だから、{{こころ}}の理解が有るのかと問われれば、それは違いますよ。
「「お金儲け」」とか「「名誉」」などについても、このような{{立派なもの}}を抱えていても、人間学的には、大変に劣っている方々が見られますよ。
悲しいかな、それほどに、人間は{{己のこころ}}を知らないものですよ。

  私は、そんなもの、そんな{{こころ}}の勉強には、全くと「「縁」」が無いと思っても、現実には、見る人が見れば分かるものです。
家族が、どんなに大事だと答えても、病気で死亡したり、事故で亡くなったりする場合もあります。
子供や孫からの「「別れ」」、しかも、自分が此の世から消えるのではなくて、幼い子供達から、消えて行きますと、悲しいものです。

<<人生>>(17)人生とは

2013 年 5 月 24 日

  40歳を過ぎて、50歳にも近くなれば、もう、人生も後半ですが、普通の方達には、全く、そんな事柄を思う事も無いでしょうからね。
人間って、賢いようで偉いようで、眼前の出来事しか眺めませんから、面白いものです。
でも、現実には、人生の後半ですよ。
しかしながら、この年齢になっても、自分の{{歳}}には気づきません、ですよ。

  面白いのは、人間は何歳になっても、自分の「「死」」には気づかないし、また、自分の「「死」」について考えるのも嫌いなものです。
案外と、ぼんやりと生きていますので、{{こころ}}の成長は、無いものです。
「「四苦」」・「「八苦」」=「「生」」・「「老」」・「「病」」・「「死」」さえ、知らないものですよ。
ぼんやりと悩みながらですから、自分の眼前の{{悩み}}にも、悩みながらででも、気づきませんから、大変なものです。

  家族も、バラバラになったりもしますよ。
子供との別れ、配偶者の「「死」」なども、運が悪いと、現実に起こります。
また、最近では、この年齢になっても、結婚もしなくて、一人者、独身者で住んでいる方々も見られます。
不確定な病気になってから、仕事が出来ない場合では、別に考えましてから、普通の方々は、必ず、自分で働いて食事を得る、また、食事を食べる、或いは、眠るなどの、「「衣」」・「「食」」・「「住」」などが、重要です。
最低限に、これらくらいは、人間として、最も大事ですよ。

  しかしながら、多くの人達で、自分の過去を振り返る事などしないでしょうから、自分の「「こころ」」が見えておりません。
自分って、どんな人間、如何なる人間、真実に真面目な人間なのか、劣等感を抱えた人間なのか、歪な人間なのか、そんな、まだまだ、色々様々な{{こころ}}を抱えています。
間違いなく、例外は有るとしても、全部の人間達が、自分の{{こころ}}を知っておりません、ですよ。

  大変なのは、このような年齢を重ねた人達だから、立派な人間だ・・・と、思ったら大変ですよ。
家族を捨てて、別の家族を形成している方々も、見られます。
そう、キリスト教徒でさえも、「「離婚」」を禁じられているにも関わらず、別の女性を愛し恋して、最初の家族とは、別の場所で家族を形成しながら、新たな子供まで作っている場合が沢山とあります。
それが、人生で最良の{{人生}}かと、問われれば、そんなに、上手くは行かないですよね。

皆が人間は、バラバラに考えながら生きているようなものですよ。
自分の考え方=思考体系が一番に正しいと思っていますから、大変ですよ。
己の{{こころ}}を知っておくべきですよ。