<<家族・親子>>「子育て・親の責任」(4)

 親は、子供の成人式が終われば大人になったと思います。

確かに年齢的・肉体的には<大人>であっても、心の内容は限りなく“幼児性の心”を持ったまま成長している人達もいます。

心が未熟なままの状態で成長すれば、他者の集団に付いて行けない人達が沢山と出てきます。

苛め、非行、暴力、登校拒否、引きこもり、シンナー、不順異性交遊、などを引き起こしてしまう場合もあります。

 

 子供の顔や表情、行動などを注意深く観察していれば、<悩んでいる>表情も見えてくるものです。

そんな子供の表情を見落としてしまう事は、どう考えても家族というか“親”の責任でしょう。

何故ならば、子供が“学校で過ごす時間”と“家庭・家族で過ごす時間”では、どちらの時間が多いか・・・、誰にでも簡単に分る筈です。

 テレビや新聞などマスコミでは、一昔、二昔前に比較すると、遥かに子供達(人格的に未熟な大人を含め)の様々な事件が多く報道されるようになりました。

確かに学校にも未熟な先生が増えているし、未熟な子供達も増えているのですが・・・。

 

 苛められたり、自殺したりする子供達(大人を含めて)は、彼等の生い立ちの中に“膨大な量の心の葛藤”を溜め込んでいます。

ちょっと触れ残したのですが、親の思いで“親が出来なかった事柄を子供に託す”場合でも必ず“大量の心の葛藤”を残します。

ですが、極一部では親と子供が心の葛藤を持ちながらも、何とか<和>が取れ、スポーツや芸能、文化の中で大成する事もありますね。

親と子の心の<ギリギリ>の限界点を歩いている様なものでしょう。

親子共に運が良くて、一般社会において{認められる地位や栄誉}にまで登りつめた場合では良好でしょうが、それでもその後に注意しておかないと何が起こるか知れません。

 

 所謂「早熟」で育った場合では、必ずや生い立ちで様々な心の葛藤(例えば、自分は皆と同じ様な遊びを持たなかった、など)を残すでしょう。

世間の人達とは全く違う若年の人生の旅をしているのですから、早く出世せした人達にも、自分の過去の違和感的な心に引きずられる事もあるでしょう。

 

 要するに、人の“現在の心”は、“過去の心”に裏打ちされているのです。

現在の心・会話・行動を、動かしているのは、全てが、“過去の心”だと知って欲しいのです。

 

 親が自分の過去を知っておかないと、子供の過去も見えないものです。

親から先に「心理療法」を受けてみて下さいませ。

例え悩める人が難治性のうつ病者でも、親に認知症さえ無ければ、親と一緒に「心理療法」を受ければ大丈夫です。

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