<<講演>>人の話「会話・行動・心」(4)

 今回は、人の犯罪について少し話をしますが、全て「会話・行動・心」と関係します。

 マスコミ、検察庁、或いは、裁判所で、よくある話です・・・。

犯罪時に、この人は“善悪の判断能力を持っているか否か”と言う{争点}があります。

この事についてですが、日頃は善悪の判断を出来ていた人でも、心の葛藤が蓄積すればその時には善悪の判断が出来ない状態になるものです。

その人の“人格水準”とも言えますが、一般的には、誕生から現在に至るまでの過去の生い立ちの中に、全ての{答え}はあるものです。

 「堪忍袋の尾が切れる」或いは「結んだ紐が切れる」と、パニック状態となります。

パニックの状態では、誰も<善悪の判断は出来ず>に何をしでかすか分かりません。

登校拒否、引きこもり、出勤拒否、アルコール依存、不順異性交遊、万引き、詐欺、窃盗、殺人などにしても、善悪の判断が出来なくなるからするのです。

ある意味で彼等は、慢性のパニック状態が続いていると言っても良いです。

善悪、“これは善”、“これは悪”の判断が出来る人は、絶対<自分にとってマイナス>になる事柄はしませんし、「これ以上は駄目だ」と判断できます。

即ち、「前後の見境もつかない状況」そんな心理状態におかれるので“してはいけない”と平常人が思う事を彼等は犯してしまいます。

 

 この様な“心のパニック状態”になるのはどうしてでしょうか。

犯罪を行う者皆が、“罪の意識”、“自分の悪の意識”さえ持っていれば、余分な行動や余分な会話、犯罪なども出来ません。

“自分は悪い人間だ”と体で自覚出来れば一歩を踏み外せないでしょう。

「自分がこれをしたら、後が大変だ」と理解出来る人であれば、大きな罪悪な出来事をする事は出来ません。

 様々な逸脱行動、逸脱会話、犯罪にしても、自分の眼前の判断を上手に出来ないだけなのです。

出来ないのは、自我の形成の問題であり人格水準の問題でもあります。

自我形成の脆弱な人達は、眼前の人達や環境、状況に<自分の心が振り回されて>不安定ですね。

{過去の心}が{現在の心}を作るし、現在の心が{未来を見る心}を創造します。

未来に向かって生きて行く自信が無くなった時に、心は限りなく不安定となり、規則や条例、法律を超えて、してはならない事柄までやってしまいます。

 

 過去から現在にかけての無意識的な“恨みの感情”や“不平や不満の感情”が、自分の現在の気持ちや心を、下から押し上げて自分の心を苦しくしています。

罪を犯しても罪悪感がありませんので、犯罪時には<善悪の判断>を、誰も持っていないと言えます。

ですが、犯罪者の心を・人格の形成を正確に判断して、裁判がなされているのでしょうか?可笑しいですね。

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