<<うつ病>>究極の世界(7)

 面白いのは“うつ病者”また、自称“健康者”もそうですが、心の話をすると案外<嫌悪感>を示す場合も多いです。

どんなに心の話をしても興味を示さない人達が多いです。

当方が悲しいのではなく、そういう人達を見ていると本当に情けなくて、また、可哀想に思います。

この様な言い方をすると{けしからん!}と言われるかもしれません。

しかし{けしからん!}と言う人が居るとすれば、その人も可哀想な人だと思えてなりません。

 

 何時もこんな風に言います。

人には「会話」と「行動」と「心]、この3つしかありません。

「心」が人の中心になるのです。

「心」次第ですね。

「心」が人の「会話」と「行動」を常に操作しています。

人の悪口を言ったり非難したりする事、これも「会話」ですね。

盗み、窃盗、犯罪など、これらは全てが「行動」です。

昨今のマスコミでも、事件など沢山と報じていますが、根本の原因は「心」でしょう。

 

 「心」・・・人の誕生から~現在に至るまでの<生い立ち>の中に形成されて来るものと言って間違いないでしょう。

一般社会の人達は“心について聞きたくない”と、そんな表情さえ見せます。

その割りには案外と人の気持ちを気にします。

自分に対して人の気持ちがどう動いているか、自分を賞賛しているかなどが主体になっていますね。

“自分を非難している”と知ってしまうと、今度は相手を<恨み>ますね。

相手に対して、自分の心の底では{怒り}、{憎しみ}、{やきもち}、{嫉妬}などを沢山と持ちながら、表面上では“自分は真面目な人間だ”と自負していますので、心の底を喝破する能力のある人が見れば、大変<滑稽>にみえます。

そんな人達を見ると可哀想だと思いますが、その人に向かって「貴方は可哀想な人」とは言えるものでもありません。

時折でも良いから、自分の心を見詰める作業をしておいて欲しいと何時も感じております。

そうでないと他人の心を傷つけるのです。

他人の心を傷つけておいて気付かない人は、何処で生きていても他者から<疎ましく>思われるでしょう。

 

 当方より「自分の心を学習しない人は可哀想だ」と申し上げたのは、人生の途上で<転ぶ可能性>が高いので、もう少し勉強しておかれたら良いのに・・・と言う意味です。

決して他者を卑下しているつもりはなく<祈る>そんな気持ちです。

 

「うつ病」になると、必ずや数%の確率で{自殺}が起こるので、残された家族が辛い思いをする事になります。

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