<<人生>>人生って(6)

  先日も{{話}}しましたが、人生は「「流されて、生きるもの」」ですよ。
ですが、多くの方々は、流されまいと考えて、慌てふためくのです。
人生は、流転変転、いや、全ての{{存在する物}}や{{物事}}は、流転&変転しますよ。
己が優秀だと思っても、{{時間}}と{{場所}}が変われば、悲しいものですが、直ぐに、立場は変化しますよ。

  皆の前で、本当に、私は{{愚かな人間}}だと思えるならば、最高の心境なのですがね。
面白いのは、人間の{{生き様}}は、己の{{こころ}に興味を持たないし、興味を持つ人間になれれば、良いのですがね。
そう、{{こころ}}に興味を持つ方々は、比較的に悩まないし、「「うつ病」」にもならないでしょうからね。

  何時もお話をしますが、「「カウンセリング」」では、人生の{{悟り}}を開けませんですよ。 どんなに考えても、当方は「「内観」」でないと、駄目だと、何時も言っておりますね。
殆どの方々は、「「カウンセリング」」と「「内観」」の区別も理解できません、
悲しい、悲しい、人間様ですよ。

  自分が{{誇り}}を持てば、持つ程に、自分の{{こころ}}は疲れるのですが、そんな簡単な事柄を理解しません。
どの道に転んでも、納得できるのが一番ですがね。
人生を生きるのに、誰もが、皆が賢い筈は有りません。
皆が賢くて偉いのならば、馬鹿な人間は居ない筈ですがね。
ですが、人間世界には、必ず、賢いとか、馬鹿とか、思う人達が居るものです。

  でもね、馬鹿な人間は、馬鹿だと自覚して欲しいものです。
己が、馬鹿だと思うのが、耐えられないのですよ。
  考え方にも、色々と有りますが、集団の中で、一番に偉いと考えない事ですよ。
己は馬鹿だ、馬鹿だと、自覚する人達は、悩まないで生きる事が可能なのですがね。
ですが、本当に、人間は、自分の位置と言うのか、自分の「「プライド」」を落すのが下手ですよ。

  周囲の皆よりも、優位に居たいなどと考えます。
自分が劣っているのか、そうでないのかを判断するのが、確かにそんなに上手ではありません。
こんな{{己は、決して賢い人間でない}}などと、「「悟る」」のは簡単に出来るのでしょうが、集団の中で自覚が出来ないのですから、大変です。

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