少しばかり同様の表現を繰り返すが・・・、新しい事情も入れておく・・・。
<いじめ>対策については、<いじめ>に遭っている子供達を援護する事ばかり考えているのでは駄目だと言っている。
<いじめ>に遭っている子供達を援護しようとする、そんな事ばかり論議している。
角度を変えて考えて<いじめ>ている子供達の心・性格・自己同一性(アイデンティティー)を変革させていく方法も真剣に考慮されるべきであろう。
<いじめ>に関わっている子供達について、警察や司法が何処まで対処するか、どの時点から対処するか、この辺が少しばかり見極めるのに苦労する場合もあるであろう。
しかし、苦労を伴うのは当然だと考えていれば、そんな苦労をも感じないで済むだろう。
<いじめ>などについては、昔から結構あった筈である。
残念な事に、日本の国が豊かになったとは言え、物質的に豊かになっただけで、心の方は反対に<生きる>という事に対して非常に{鈍感}になってきている。
{裕福さ}が、生きること自体の心を無意識的には<貧弱に>しているのでもあろう。
親へも真実なる心を伝えないまま、<いじめ>に遭う子供達の何人かは自殺してしまう。
<生きる>と言う事に関しては、貧困の環境に置かれた方が人間には案外と都合が良い面もあるのであろう。
貧困がひど過ぎるのも大変ではあるが・・・。
根源的には、何故に子供達は自分の親に<素直に話し>をしないか・・・。
子供達の心がボロボロになって初めて、親には子供達の表情や動作や立ち居振る舞いなどがやっと見えて来る。
さて、<いじめ>る子供達の心を変革させる事が最重要だと考えているが、親が自分自身について<懺悔>できていないと、子供達の心を回復させる割合は非常に少ないであろう。
そういう人達には、<いじめ>の体験も貴重な体験となり、<いじめ>体験の後に、自分の心をより豊かに出来て、より良い生活へ入れる人もいる。
時には、<いじめ>に遭った子供達で、何とか耐えて成長していく人達も居られるが、結構と多くの場合で<いじめ>られた体験がその後の生活で後遺症のような症状を引きずって悩んだまま生きる。
親が自分の<生い立ち>と子育てに関して<懺悔>するべきである。
未熟な先生方も<懺悔>の体験をしておいて欲しい。
まあ、ここで<懺悔>と言っても、体験した人にしか理解と体得は出来ないから、人間は、本当に悲しい生き物です。
当方では昨今、裁判所から「仮釈放した人達が、また犯罪を起こしたら本人は大変だろうし、仮釈放してあげた自分達も<辛い体験>となるので、何とか面倒を見て欲しい」と言われるケースがある。
もし親が居れば、必ず親と子が一緒に自分達の過去を見つめる{心理療法}を体験してもらうのである。
事は、上手く運べるのである。