<<人生>>(22)人生とは

  70歳から75歳になっても、人は{{悩んだり}}、{{喜んだり}}するものです。
人間は、何歳になってもですね・・・、、認知症が無ければ、自分の{{こころ}}を手繰り出せるものです。
「「悩み」」とか「「苦しみ」」など、万一抱えた場合でも、安心してください。
特別な、いや、普通の認知症さえ無ければ、{{こころ}}の回復は、「「内観」」さえ体験すれば、立派に立ち直るものです。

  人間の一生は、一度の人生です。
輪廻転生などと,言いますが、これは、悩める人間を洗脳するためのものですよね。
本来的には、このくらいの言葉では、完全に、人間に「「悩み」」や「「苦しみ」」を解いてあげるのは無理ですね。
仏教観からの「「言葉:」」ですが、キリスト教では「「再臨:」」などの言葉もあります。

  また、面白いのは、仏教観では人間の{{こころ}}を慰めるために、「「地獄」」・「「餓鬼」」・「「畜生」」・「「修羅」」・「「人間界」」・「「天界」」・「「声聞」」・「「縁覚」」・「「菩薩」」・「「仏」」の世界などと、言ったりもします。
また、「「色即是空」」などとも言いますが・・・・・、難しくなりますので、この話は中止しましょうかね。
こんな{{こころ}}の世界もあると、言ったのですが、これらは、矢張り、{{からだ}}では悟れませんからね。

  仏教もキリスト教でも、言っていますが、「「懺悔」」こそは、人間の{{こころ}}を本当に変えるものですよね。
 「「懺悔」」とは、如何にも宗教の言葉ですよね。
だから、「「懺悔」」よりも、「「反省」」にすれば良いのですよ。
こんなに理解しやすい言葉、「「反省」」だと説明にしても、矢張り、人間の{{こころ}}と言うか「「人格」」と言うか、自分が一番に正しい考え方をしていると思っていますよ。
自分の{{こころ}}が間違っていても、私の{{こころ}}は間違っていないと、誰もが言いますので、大変な人間世界ですよ。

  まだまだ、認知症が軽ければ、「「反省」」も出来ますし、「「内観」」ができるのです。
この年齢では、まだまだ、本当に{{こころ}}は生まれ変わるものです。
出来るものならば、人生を、或いは、自分の{{こころ}}を悟りながら生きて欲しいですよ。
まだまだ、自分の「「運命」」を変える事も出来るのですからね。
高齢者になれば、可能な限りでも、周囲の方達と仲良くなって生きる事ができることを、当方は期待しています。

どうぞ、一度は、「「内観」」体験をしておいて下さい。

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