50歳の半ばを過ぎてから、60歳の前までを考えてみましょう。
いよいよと、人間の新鮮な{{生き様}}も、終止符が近づいて来そうですよ。
でも、こんな年齢になっても、人間の{{こころ}}の歪み具合は、幼い頃と変わらずに残っている方々が沢山とおられます。
残念ながら、人間は、殆どの場合で、己の{{こころ}}を知っておりません。
何時も、申し上げますが、人間の{{こころ}}は、「「一念三千」」と言いますように、人間の{{こころ}}は、それほど色々と多いものです。
こんな年齢になっても、なかなかと、自分の人生を悟れないものです。
いや、人間全体の「「人生」」を悟れませんからね。
これが、一番に難しいでしょう。
「「人生とは、何か??」」と聞かれて・・・・・、答える事の出来る方々は、全く居ないでしょう、からね。
それほどに、「「人生とは」」、などと聞かれますと、簡単に答えられそうですが、それができないのです。
人生を生きるのに、何度も繰り返して言いますが、如何に生きるのかが、大変に難しいものです。
本当に何度も繰り返しますが、悲しくて辛いものです。
当方が、これほどに伝えても・・・・・、人間は、自分の{{こころ}}の持ち方が理解できないのですよ。
皆が、自分の{{こころ}}を知っていると言いますが、皆が自分の{{こころ}}を知っているかと言えば、間違いなく、自分の生い立ちの過去の{{こころ}}を知っておりません。
どんなに、私は自分の{{こころ}}を知っていると答えても、己の「「潜在意識」」や「「無意識」」=「「深層心理」」を知っていなければ、全く役立たないですよ。
人間世界を簡単に、お金儲けが上手だから、{{こころ}}の理解が有るのかと問われれば、それは違いますよ。
「「お金儲け」」とか「「名誉」」などについても、このような{{立派なもの}}を抱えていても、人間学的には、大変に劣っている方々が見られますよ。
悲しいかな、それほどに、人間は{{己のこころ}}を知らないものですよ。
私は、そんなもの、そんな{{こころ}}の勉強には、全くと「「縁」」が無いと思っても、現実には、見る人が見れば分かるものです。
家族が、どんなに大事だと答えても、病気で死亡したり、事故で亡くなったりする場合もあります。
子供や孫からの「「別れ」」、しかも、自分が此の世から消えるのではなくて、幼い子供達から、消えて行きますと、悲しいものです。