<<人生>>(17)人生とは

  40歳を過ぎて、50歳にも近くなれば、もう、人生も後半ですが、普通の方達には、全く、そんな事柄を思う事も無いでしょうからね。
人間って、賢いようで偉いようで、眼前の出来事しか眺めませんから、面白いものです。
でも、現実には、人生の後半ですよ。
しかしながら、この年齢になっても、自分の{{歳}}には気づきません、ですよ。

  面白いのは、人間は何歳になっても、自分の「「死」」には気づかないし、また、自分の「「死」」について考えるのも嫌いなものです。
案外と、ぼんやりと生きていますので、{{こころ}}の成長は、無いものです。
「「四苦」」・「「八苦」」=「「生」」・「「老」」・「「病」」・「「死」」さえ、知らないものですよ。
ぼんやりと悩みながらですから、自分の眼前の{{悩み}}にも、悩みながらででも、気づきませんから、大変なものです。

  家族も、バラバラになったりもしますよ。
子供との別れ、配偶者の「「死」」なども、運が悪いと、現実に起こります。
また、最近では、この年齢になっても、結婚もしなくて、一人者、独身者で住んでいる方々も見られます。
不確定な病気になってから、仕事が出来ない場合では、別に考えましてから、普通の方々は、必ず、自分で働いて食事を得る、また、食事を食べる、或いは、眠るなどの、「「衣」」・「「食」」・「「住」」などが、重要です。
最低限に、これらくらいは、人間として、最も大事ですよ。

  しかしながら、多くの人達で、自分の過去を振り返る事などしないでしょうから、自分の「「こころ」」が見えておりません。
自分って、どんな人間、如何なる人間、真実に真面目な人間なのか、劣等感を抱えた人間なのか、歪な人間なのか、そんな、まだまだ、色々様々な{{こころ}}を抱えています。
間違いなく、例外は有るとしても、全部の人間達が、自分の{{こころ}}を知っておりません、ですよ。

  大変なのは、このような年齢を重ねた人達だから、立派な人間だ・・・と、思ったら大変ですよ。
家族を捨てて、別の家族を形成している方々も、見られます。
そう、キリスト教徒でさえも、「「離婚」」を禁じられているにも関わらず、別の女性を愛し恋して、最初の家族とは、別の場所で家族を形成しながら、新たな子供まで作っている場合が沢山とあります。
それが、人生で最良の{{人生}}かと、問われれば、そんなに、上手くは行かないですよね。

皆が人間は、バラバラに考えながら生きているようなものですよ。
自分の考え方=思考体系が一番に正しいと思っていますから、大変ですよ。
己の{{こころ}}を知っておくべきですよ。

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