84歳~~86歳ですね。
人間の[「寿命」]と「「体の変化」」は大変ですよ。
己が、どんなに偉そうに誇りを持っていたとしてもですね、周囲の人間が深く見つめると、若年の人間に比較すると、最早、大変でしょう。
「「話」」が上手いと、言ってもですね、「「話」」の内容は、確かに、良くても、口元の変化など、即ち、「「話」の喋り方なども、少しながら、縺れていたりもするものです。
勿論、そんな人間の「「話ぶり」」などに、全く関心が無い人達は気づかないでしょうけれどね。
この年齢では、多くの人達が、既に、病気で寝込んでいるのか、或いは、{{デイケア}}というか{{デイサ―ビス}}などの世話も受けている方々が多いでしょう。
そのような方々には、[「身代わり不可症候群」]などと、説明しても届きませんよ。
お世話する人達は、どれほどに、相手の事を理解できるか、相手の{{こころ}}を理解できるか、理解してあげられるか、などでしょう。
何でも、自分で全てをこなせる方々も居られるとは、思いますが、本来的には、もっと、若い時に、自分の{{こころ}}を明確にして、相手の気持ちを理解できる人間であるのかを、知っておくべきでした。
この年齢になって、しっかりと、100%「「反省」」や[「懺悔」]などと伝えても、何も伝わりません。
高齢者になってからでも、自分の({心})を、明確に知っている方々は、他者にお世話になる場合であっても、明確に感謝ができるでしょう。
脳血管障害などで、認知に関する大脳の一部に破損が起これば、誰も、自分の思う通りにならなくて、{{こころ}}さえも、感謝で生きて来た人達でも、悪い方に変化するのかも知れません。
でも、86歳などで、一線で仕事をするのは、無理でしょう。
己は元気で、年齢など関係が無いと言っても、周囲の方達が認めませんでしょうね。
ここまで、年齢を重ねないうちに、{{こころ}}を明確に、沢山の方達が勉強をしておいて欲しいものです。
ともすれば、逆に、年齢を重ねてから、人間の{{こころ}}・・・性格などは、悪くなる場合が多いですよ。
「「身代わり」」、「「身代わり」」、なんて言っても、もう、他人を使ったり、他人に立場を明確にした上で生きるなんて、とても無理です。
エゴイストとか、ナルシストなどと呼ばれても、気づかないでしょう。
特別に、脱血管障害は認知症などで、そんな人達と言えども、相手の立場に立つ事、「「身代わり」」は大事ですよね。