人間は、両親の元で生まれて育ち、成長しながら俗世間を生きて行きます。
その後、どんなにお金持ちの人も、地位や名誉がある人でも、やがて年老いて終末を迎え此の世を去って行きます。
誕生~人生~終末~滅・・・。
人のみならず、此の世に<生あるもの>は、全てが終末に向かって行きます。
そんな中で、人は眼前を眺めながら、何事においても<好き嫌い>だと言いながら、不平、不満、寂しさ、やきもち、嫉妬、怒り、恨み、孤独、嘘、盗み、罪、などと諸々の心を抱えて生きるのが、人間の本性かとも感じさせられます。
可能であれば、何事につけても{愛}を持って自分の人生を生きる事ができれば最高なのでしょうが・・・。
{愛}だと、口で言うのは易いのですが、人間世界を生きる以上は働いて幾らかの金銭を稼ぐ必要もあります。
自分の人生を生きるのに、純粋な{愛}だけを与えて生きるのは、矢張り、不可能でありましょう。
人生を生きる上では、真実なる{平等}が有れば幸いでしょうが、どんなに考えても{平等}は有り得ません。
{不平等}のみが存在すると、当方では考えています。
そう、皆誰もが此の世では{平等}と{愛}を求めている事でしょう。
この地球上では各国々があり、民族、政治、宗教、多種多様の集団があります。
そして、その末端には個人があります。
個人の生き様があり、個人の集団、グループとグループの更に大きな集団、社会、国々、そして、地球上での人間の生き様が、色々様々と見られるのですね。
人間個人には、どんなに考え込んでも{自由}と{平等}は有り得ません。
{宿命}、{運命}という言葉もあります。
人間個人が此の世に生まれ出た時には、いや、生まれる前から、{宿命}なるものを背負って生きる事になっています。
どんなに不平や不満、怒りや怨念を抱えても{宿命}だけは背負わされるのです。
その{宿命}を抱えて、今度は自分の{運命}を切り開いて生きるしか有りません。
{宿命}だけを覗き込んで見ても、そこには{不平等}が実在しています。
また、どんなに上手に{運命}を切り開こうとしても、どうにもならない事実も起こります。
しかし、人間社会で生きて行く以上は、人間個人の{努力}、{根性}、{人格}などを切磋琢磨しておく必要があります。
どんなに考えても、{生存競争}の人間世界です・・・。
何がしかの{争いごと}は起きるのです。
電話カウンセリング・電話人生相談を受けてみて下さいませ。