61歳~~63歳までです。
この年齢になっても、もう、多くの方々が、年金を貰いながら、遊んで暮らしていたりもします。(現在、年金をもらうのは65歳からとなっているようですが・・・・)
それも、案外と、自分の事しか考えません。
人間の{{こころ}}って、本当に面白いものです。
何歳になっても、己の({こころ})しか見ておりません。
自分が「「善人」」であること、そう、「「真面目」」だと思っています。
そして、何時までも、生きていると、考えていますよ。
本来的には、必ず、人間は、いや、己は、死すべき({存在})だと知っているのが良いのですが、そんな({死}の事柄などは、考えたくありません。
「「死」」の話からは、逃げるものです。
多くの人達は、自分の「「死」」を見たくないし、語りたくもありません。
人間の一生を、見たくないのですから、何時も、「「死なない」」など、自分の命を({化けて})いる事になります。
そうですね、自分の存在についても、明確に知ろうとしません。
人間全体の生き様について、殆どの方達が勉強をしません。
悲しいのですが、この勉強が大事ですと、伝えても伝わりません。
まあ、あまり勉強、勉強だと言っても大変でしょうから、当方の伝える言葉、「「身代わり不可症候群」」だけでも、気づいて下されば、気楽な人間世界になるのです。
一人で、此の世を生きるのでは、ありませんから、この事を明確に頭に入れて、他者の気持ちとか、他者の立場になってみる事でしょう。
「「身代わり可」」、「「身代わり可」」、などの言葉と、「「身代わり不可」」、[「身代わり不可」]の言葉を明確に知っておいて下さいませ、ね。
今は、年齢別でこの記載をしていますが・・・、先ほどから皆様方へ伝えています。
面白いのは、人間が何年も長生きをしても、{{こころ}}の勉強をしなければ、精神的成長は関係ありません。
眼前で眺める事象が多くても、自分の{{こころ}}の奥底の{{こころ}}を変転させる事は無いのです。
何年生きても、自分の{{こころ}}年齢は、変わらないですよ。
({反省})、({反省})が無い限り、自分の己の{{こころ}}は、自分で流転させる事ができないのです
相手を見る({眼差し})を変えたとしても、所詮、目先の見方{{こころ}}を少し変えただけであり、己の({潜在意識})や({無意識})の「「こころ」」を見ていないので、人間の{{こころ}}の成長とは、関係ありません。
「「身代わり」」、「「身代わり」」、何度も伝えますが、相手の立場に立つ事を学ぶべきですね。
「「身代わり不可症候群」」にだけは、ならないで下さい。