<<講演>>人生への理解(21)最終回

 残念ではあるが、庶民は眼前のみを見て、自分の人生を歩いて行くものである。

ともすれば、自分が世間を、そして眼前の現況や他者である人々を見詰める判断能力が間違っている場合もある。

 

 自分を中心として、自分の外側だけを見るのである。

何か自分の好みの物はないだろうか、と言う思いである。

自分の外界の物を見る心が、正常範囲であるかどうかが、限りなく問題である。

外界を見る{眼差し}が逸脱していると、神経症や心身症やうつ病などの症状、他に、犯罪にまで至る逸脱行為なども起こってくる。

 

 人の心は、常にその人の過去の心が現在の心・現在を見る心(状況を判断をする心と言っても良い)を作り、現在の心が未来を見る心(未来の状況を判断する心)を創造する事には間違いない。

 

 過去の記憶は、人間の大脳の海馬と言う場所に記憶される。

ここに記憶が渦巻いている。

だから、人が現在の状況や人間関係などを判断するのも、海馬で渦巻いている心が、現在の自分を常に操作している。

 

 現在に悩みや苦しみを抱えている場合では、目先の現況を判断している心(これは、海馬の過去の心になる)を調べる事、この方法が自分の創造力、悩み、苦しみ、不安神経症、心身症、うつ病、アルコール依存、逸脱会話、逸脱行動、犯罪、などなどについても、解決をもたらすであろう。

 何故ならば、自分の会話したり、行動したり、悩んだり、苦しんだり、病状についても、全ての諸々の事柄を、自分で上手に判断できる能力が完成されてくるからである。

対人関係や現状の困難な問題などにも、自分の心で{判断できる人}となれるのである。

 最終的には、本当に自分は{真面目な人間}なのか{劣等意識の塊}なのか、或いは{素直で正直な人間}なのか{愚かな人間}なのか、自分は{善人}なのか{悪人}なのか、を<体>で判断できる人であって欲しい。

 

 建前の心(浅い心・顕在意識)だけで{善人}だと判定する人は真実に愚かな人間である。

{善人}と{悪人}の区別は、深層心理(潜在意識と無意識)が裏打ちされた心で判定する事である。

{無常観}までは悟れない。

上記の判定だけで、健康な人格の人になれるのである。

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