『人生って何だろう?』と、日常生活では誰も考えません。
中には、死ぬまでそんな疑問さえ持たずに自分の一生を終わって行く人もいるでしょう。
皆が皆、一生懸命に生きている積もりでも、案外とボンヤリとしたまま生きて、ボンヤリとして一生の終末を迎え、滅し消えて行きます。
人生については様々な見解があるでしょう。
自分の事だけ考えて、食にありつければそれで良いではいかと言う人もいるでしょう。
先述していますが、人生、誰一人として誰とも接触せずに自分の一生を過ごすなんて不可能ですよ、ね。
人間、個人対個人の会話、商売のために個人対複数の人との会話なども必要です。
そこには無意識的にも、自分自身、表面上の心では気づいていなくても、{私}と{貴方}、{優越}と{劣等}、{勝ち}と{負け}、{善}と{悪}、{美}と{醜}などなどの諸々の意識を持っているものですね。
四苦八苦(前述している)なども、人が生きる限り、克服できて生活できれば何も言う事はないのでしょうが・・・。
ともすれば、不平、不満、悲しみ、淋しさ、孤独、やきもち、嫉妬、妬み、恨み、怒り、怨念、嘘、盗み、罪、諸々のマイナスの感情を持ち易いものです。
格別に、人が(胎内に居る時から・・)誕生した時から、自分の母親や父親や兄弟姉妹に対して、不平や不満など持たないで育つ人は誰も居ない筈です。
考え方は幾らでもあります・・・。
子供の時から母親や父親、或いは、自分を育ててくれた人に対して、全く不満を持たずに育つ人はいません。
「全く不平や不満を抱えないで育ちました」と言う人は、全く親離れが出来ていない{甘えん坊}そのままで、精神的に大人には成長していません。
乳児や幼児の幼少時から、自分以外の相手に対して、適当な不満や甘えの感情が有って、初めて育って行くものでしょう。
誰もが自分の過去を調べて行くと、心の{因}が見えて来るものです。
現在が幸福であれ不幸であれ、心の世界について詳しくなりますので、現在の悩みや苦しみも自分で解決できる人となれるのです。
何故なら、自分の本音と建前の心の{カラクリ}を充分に把握することが可能だからです。