今回は、人間世界の、そう、裏側の世界を覗いてみましょう。
「「怨憎会苦」」なる、言葉があります。
そう、どのような意味かを知らせておきます。
自分の身の回りには、必ずや、一人か二人は、嫌いな人間がいると言う言葉です。
皆様方も、自分の幼い頃から、自分の生き様を点検してゆきますと、色々様々な事柄を思い出しますよ。
自分は真面目な人間、そう、皆が思いたいのです。
真面目な人間だから、他人には良く思われたいとか、賞賛を浴びたいとか、優秀な人間に思われたいのです。
そんな風に思われたいと考えても、自分は何も良い{{こころ}}や良い({物事})を持たなければ、誰もが自分を褒めてくれる事もないでしょう。
自分の傍に居る方々が、自分を賞賛してくれない場合では、多くの場合で立腹しますよ。
憎むと言っても、色々な場合が有ります。
簡単に言えば、多かれ少なかれ、({怨憎会苦})などで表現しますと簡単ですよ。
自分の考え方や、自分のやっている事柄などに賛同してくれなければ、簡単に人間は怒りますし、相手の人を恨みます。
自分を満足させてくれなければ、相手に対して、{{不満}}や{{恨み}}や{{怒り}}や、人間には{{悲しい感情}}が入ります。そんな人間ですが、自分の{{思う通りに、ならないこころ}}や{{自分の思う通りにしてくれない人や、その人のこころ}}に対して、随分と「「劣等感」」なども抱えてしまいます。
相手の気持ち、相手の立場、相手の{{こころ}}を充分に理解してあげると、相手の状況にも「「同情」」できるようになりますよ。
相手の{{こころ}}や相手の{{状況}}に納得できれば、「「劣等感」」も「「怨憎」」なども、簡単に無くなります。
相手の「「身代わり」」ですよ、相手の{{こころ}}や{{きもち}}などを理解してあげる事が出来る人間になる事ですよ。
その事で、繰り返しますが、「「劣等感」」や「「悲しみ」」や「「苦しみ」」や「「悩み」」は減ってゆくのです。
「「身代わり」」。「「身代わり」」できる事が大事で、「「身代わり不可症候群」」の人間にならない事ですよ。
上記の事が出来れば、「「身代わり」」ですよ・・・人格というか、{{こころ}}の水準と言うか、このような簡単な{{こころ}}の世界が、なかなかと理解出来ない人達が案外多いです。
真実に理解できれば、身代わりできますね。
「「身代わり不可症候群」」って、言葉を理解することが、人間世界を生きる上で大事な言葉ですね。
皆様方も、必ず、この言葉は、一度でも構いませんから、エゴイストにならないで、「「身代わり」」できるのか、「「身代わり」」できないのか、知って下さい。