夫婦の心の{別れ}は、結構と多いです。
極端に言えば、心理的な{別れ}は結構と多い筈です。
そして、{心の距離}は、遠くになったり、近くになったり、ぴったりと寄り添う場合などが、繰り返されるものでしょう。
先ずは子育ての違いです。これは大変ですね。
父親の子育て感と、母親の子育て感が大きく違っている場合も多いものです。
父親が子育てに夢中になったり、母親が子育てに夢中になったり・・・或いは、父親と母親両者が<子育て>に夢中になるのです。
しかし、父親と母親が同時に同じ目的に沿って<子育て>する場合は比較的少ないでしょう。
どちらかが黙っていて、どちらかが<夢中になる>様な光景の方が多いでしょう。
案外と<子育て>で、夫婦喧嘩をするものです。
最近は、子供達にハングリー精神が無いために、親が一生懸命<子供が大きくなった時、苦労をしないように・・・>なんて考えても、子供には<そんな考え>は通用しません。
唯、子供達は親のロボットではありません。
親は親で、自分の思い通りに<育てたい>のです。
親も確かに賢明ですが、面白いというか、悲しいのは、親の心の底に考える事柄ですね。
父親にしろ、母親にしろ、自分達が成長して行く段階で、それぞれが心の底にある{葛藤}に気づいていないのです。
夫婦のどちらにしろ、自分が大人になって行く時に、自分が果たせなかった思い(劣等感と言っても良いです)に気づいていないのです。
案外と、親に<背を向けて>育ったわりには、親の有り難さも感じないままで、自分の子供には、自分の思い通りに育てたい訳です。
「早くしなさい」、「勉強しなさい」などと、子供達に心のプレッシャーをかけるのです。
初めから勉強が好きな子供達はあまり居ません。
勉強するならそれなりの、子供達にも心の奥深い底に{理由}が有ります。
子供達が勉強することも、色々な心の葛藤を持ちながら勉強します。
境界例人格障害者やそれに近い人格の持ち主でも、幼い時から、案外と勉強をします。
小さい時から、親の御機嫌とりに夢中になって勉強する子供も居ます。
強迫観念でもって、勉強だけはするのです。
そこには、何時も常に、周りの人達から称賛を浴びたいなどと思われたい強迫観念ですね。
完璧主義の様な、悲しい思いを持って育ち、最後には大人になって自己主張が全く出来ないままの場合があります。
自分の本音を語ることができないです。
こういう場合、親は家庭内離婚、間違いないですね。