拒食と過食について、悩む人達ですね。
よく、自分の心を知っていないのです。
自分が、周囲の人達から美しく見られたいとか、賞賛を浴びたいとか、時には、社会が悪いとまで言う人達もおられますね。
自分の過食と拒食は、全て、{自分の眼前の人達や環境などが悪い}と自己主張します。
悩める人によっては、「社会が悪い」と言う人もいます。
自分の体と心の症状を、「相手が悪い、自分は悪くない」と言います。
相手が悪い、社会が悪いと言って、自分の心の{貧しさ}、{愚かさ}に気づかないのです。
自分と相手と、どちらが、正しいかの{判断}、{判定}が出来ませんね。
そして、判断できない、分からない、分からないものは、とりあえず、そのままで<そっとしておこう>と言うのであれば、良い方ですね。
何時までも、相手が悪い、自分は真面目で素直な人間だと思っておられますね。
確かに、自分では、真面目で素直で何でも自分は正しいと思う訳です。
そうすると、自分の人生を生きるのが難しいですね。
心も体も、疲れます。
一方で、見栄とか虚栄心とかを抱えて、{そんな心}に執着して離れられない人達が多いです。
どんなに、助言や注意をしても、執着心から離れる事が出来ません。
自分に人生を見る眼というか心というか意識というか、自分が人生で生きる道で迷っている事に気づかないのです。
{人生とは、何か??}、{自分とは、一体にどんな人間}か、などを考えないのです。
しっかりと、熟慮するべきなのですがね。
要するに、拒食や過食の人達は、自分の生い立ちですね、過去から成長する過程にて、母親や父親に対して大変な量の心の葛藤を持っています。
ですが、この事については、自分の過去を振り返った人達でないと、無意識や潜在意識の心の世界を理解する事が出来ませんね。
余程の、境界例者でなければ、{心理療法}を受ける事で早く、拒食や過食の人達も治って行きます。
当方も明確に、皆さんに伝えておきます。境界例者でなければ、簡単に治るものです。
拒食や過食の人たちは、人格水準が低いですね。
人間が此の世を生きるのに、見栄や虚栄心や自尊心(細かく、心を見つめると自尊心よりも、他尊心の方が大切で・・)を捨て去る事だけなのです。
当方のこの言葉が、どれだけ理解できるかどうかが分岐点となります。
心は目に見えないから、皆が自分の心にも気づきません。
自分の過去を見つめる事で、全ての執着心から、開放されるでありましょう。
拒食や過食も簡単に治る病気であります。