大きな気持ちで生きる
唯、唯、ぼんやりと生きる事を止める事ですね。
自分は、一体に<どんな人間>なのか??ここに焦点を当てて熟慮する事ですね。
ぼんやりと、唯、不満だけを持って生きていても<何も得をする>事はありません。
不平、不満、やきもち、しっと、恨み 憎しみ、などなどが心から離れられない場合では、何故に、そんなマイナスの感情が解けて消えて行かないのか、自己の心を知るべきなのです。
ですが、人間は本来的には、例外はありますが、怠け者です。
自分が一人で、自力で{人生の悟り}を開くなんて、大変に難しいです。
人生の書物とか、哲学書とか、心の書物とか、何十冊、何百冊を読んでも<人生の悟り>は開けません。
知識だけを身につけても、役立たないのです。
役立たないのに、<役立つと思っている人>が沢山ですね。
勿論、もともと自分の頭というか、考え事をするのに、非常に柔軟性を持っている人もいますが、そういう人は非常に少ないですね。
頭で理解しただけでは駄目なのです。
物事は{体で体得}しないと、人生の役には立ちません。
人から、その悩みについては<こういう風に考えた>ら良いですよ、とか言われても、他者から言われた通りに、簡単に、考え方を変える事はできませんね。
教えられたり、説教されたり、本を読んだりで、人間の考え方が変われば、誰もが何も苦労する事はありません。
読書も絵画も映画も小説も食事も、どんなに楽しんでも、それは外観ですから、人間の大脳の海馬(心の記憶装置、或いは、心のカラクリの渦巻く場所)には、直接届きません。
自分の心を自分の方に向けて、自分の大脳を読んで行けば良いのです。
自分の幼い頃まで、可能な限りに遡って、自分を調べる事なのです。
そうする事で、自分が阿呆か賢いのか、直ぐに体得できる筈なのです。
愚かな人間だと気づくと、自分はもっと賢い人にならなくてはと、努力せざるを得ません。
自分が愚かだと気づいたら、<心が落ち込んで>辛い思いをするのではないかと、自己主張される人がいますが、このように感じる{心のカラクリ}は、心理療法を受けていなけば誰も知る事は出来ません・・・・。
先ずは、自分の内側の心の自己探索を試みて下さいませ。
本当に、そうする事で<自分が落ち込む>かどうか、自分で納得が出来ますよ。
しかも、「インタ―ネット心理療法」を受けながら自分で学習されると、簡単に明確に人間の心を理解出るでしょうし、本当の自分・自己発見が出来ます。
人は、自分の実力や力量以上の事柄は出来ません。
その自分の実力を知らずして、人生を生きようとするから、自分に余分な負担かかかってきて、悲しい思いをするようになります。
素直に、心を磨く、切磋琢磨する事で、何事もできます。