・・・・「「五蘊盛苦」」・・・・・。
そうですね、「「受」」ですか、人間の「「五感」」や「「六感」」が捨てられない場合では、「「色」」を捨てる事なのです。
「「色」」を捨てる事は、此の世に存在する物、{{生あるもの}}も{{生の無いもの}}も含めて、全部を捨てて下さいと言う意味ですよ。
でも、そんな事柄を言っても、絶対に捨てられないと言うのであれば、最初から、「「色」」は無いと考えて下さいと言うのです。
簡単に「「色」」は無いと考えて下さいと言っても、難しいですよ。
そこで、「「色」」は無いと、人間の見ているもの、聞くもの、匂うもの、味わうもの、肌で感じるもの、全てのものは「時間と共に消えて無くなって行く」ではないかと、言っているのです。
確かに、此の世に存在する全ての物は、消滅してしまうのです。
一部の考え方ですが、此の世には「「真実に存在するもの」」が何も無いと言うのです。
「「真実に存在するものは、絶対に消えて滅する事は無い」」と言う考え方があるようです。
そこで、人間が{{こころ}}を奪われている物事は、「「無い物事」」に{{こころ}}を奪われているのです。
どうして、そんなに消えて行く物事に、人間は拘るのかと教えているのです。
どうして、人間は「「拘り」」の{{こころ}}を持つのか、もう少し真実を熟慮して下さいと言っているのです。
人間が「「拘る」」物事について、如何なる考え方を持つかどうかですね。
悩み苦しむ場合では、特別に「「うつ病者」」などで、物事に拘る{{こころ}}から開放されないので、悩み苦しみから逃れられないのだと、言う事もできます。
でも、人間の「「拘り」」は、面白いですよ。
人間って、面白いのですが、「「うつ病」」で死ぬほどに悩んでいても、私には「「悩み」」は無いと答える人達も、時折に、見られます。
そんな人達は、もう少しながら、自分の{{こころ}}に磨きをかけて欲しいものですね。
そのような、物事に拘り始めると、人間の「「欠乏欲」」は限りが無いと言います。
「「欲望」」が深い人間ほど、{{悩み}}はつきまとうものです。
{{悩み}}から、開放されない限りに、{{こころ}}の病気から開放されないでしょう・・。
「「色即是空」」などと言う言葉は、素晴らしい言葉ですが、人間はなかなかと{{こころ}}について勉強をしません。
でも、少しながら、勉強をして欲しいものです。
「「色即是空」」→「「諸法空想」」と同じ表現でもありますし、「「色即是実」」=「「諸法実相」」とは、全く反対の考えもあります。
そう、楽しい嬉しい場合では、沢山と拘っても良いです。
でも、あまり沢山と拘ると、嬉しい物事でも、{{こころ}}が疲れます。