何事も、理由なくして犯罪や事件は起こりません。
子供達、或いは、大人でも、犯罪や事件を起こす人達は、その人達の<生い立ちの心>に原因があります。
自分は、<生い立ちの心>には、原因は無いよと自己主張する人達も、自分の現在の心が、自分の過去の心に裏打ちされている、また、過去の心に強迫されている事に気づいていませんね。
「親殺し」って言いますが!!!
何も理由が無くて、起こるのではなくて、理由というか、それなりの原因があるからこそ、犯罪や事件、異常な行動が起きるのです。
親の子に対する{虐待}なども、完全なる原因がありますね・・・・・。
( 最近に起こった{親殺し}の事件ですね。)
マスコミでは、当人は<殺すのは誰でも良かった>と言っているみたいですが、みなさんは、当人の心を明確に理解していませんね。
あくまでも、<親が憎い>、親が憎くて我慢できない。
でも、本来的には、親の{愛情}を沢山と望んでいた筈です。
しかし、親は理解できませんでした。
親は、世の中の他者に比較すると、精神的に心の捩れた、社会適応性が無かった事には気づいていた筈なのです。
例えば、高校生であれば、高校生なりに<同年代の子供>と同じ生活が、できていなかった事に、親は多分に<心が焦って>いたでしょう。
何とか、どうにかしてやろうと、思っていた可能性もあります。
ですが、残念な事に、親自身が<子育てで>間違えた事には気づいていなかった。
親が、自分の子育てが間違っている事に、真実に気づいていれば、今までの過去とは違った態度で、子供に対応していた筈ですね。
親の態度に変化があれば、事件は起こらなかったのです。
子供は未熟すぎて、どちらかと言えば{境界例}に近いが{境界例}ではない!!!
人格が未熟過ぎると、自分のやった事件や犯罪についても、自分の過去の行動は<全てが、今の自分の意識>から切り離される。
どんなに凶暴に行動していても、価値観も善悪も理解できないので、自分とは一体にどんな人間なのか、全く、知っていないし、知る能力もない。
親でなくても、誰でも良かったと言っているが、あくまでも目的は親であり、親に犯行を出来なかったら、他の誰でも良かった、だけです。
あくまでも、目的は<親であった>筈です。
親への{怨念}の心が動いていたと思われるし、ある時には忘れていた筈。
自己同一性障害、未熟な人格障害、二重人格にもなってくる。
どんな人達であれ、人格の水準の差は、常に人に付き纏うものです。