<<劣等感>>「「劣等感」」続編9

  「「死」」の問題があります。
{{死にたくない}}、{{死にたくない}}などと嘆きながら生きている方達が多いことかと、感じております。
そうですね、己の「「死」」を認めれば、悩む事もないし、「「劣等感」」なども消えるのです。
自分の内なる「「劣等感」」を消してしまいたいと、考えれば考える程に、[「劣等感」]は大きくなってしまいます。

 当方から見れば、大変に面白いのですが、何度も繰り返して恐縮ですけれども・・・・・・、
「「劣等感」」を自分の{{こころ}}から消したいと考えても、消したい、消したいと思う程に、そんなマイナスの{{こころ}}は消えないのです。
沢山の「「劣等感」」を抱えていても、貴方は「「劣等感」」が多すぎると伝えたら・・・、立腹するでしょう。
「「死」」を迎えるのは、人間の自然の「「姿」」ですが、なかなかと、人間の「「本音」」でしょうかね、「「死」」を認めないのです、いや、考えたくないし、自分の「「死」」なんて思いたくないのです。

 仮に、「「死」」の話をしますと、多くの人達が機嫌を悪くして、「「話」」をする人から避けてゆきます。
人間の本当の「「姿」」を、見たくないのです。
そう、人間も、地球上に現れた「「単なる、エコロジカルな存在の生物」」だと、考える習慣を持っていません。
それほどに、人間は、自分が「「有能な別の生き物」」だと思っているみたいです。
そう、自分達は、特別に愚かな「「存在」」だと気づかないままで、生きているのです。

 気づいていないと言うのは、人間は他の生き物と比較して「「有能な存在」」だと言う観念が、絶対に無くならないのですね。
どのような生き物も、此の世に存在する全ての生き物は、「「死」」を迎えるのだと、自覚できないのだから、人間は大変な生き物ですね。
 
 当方が、こんな状況に拘るのは・・・、「「劣等感」」を消去する能力を持たないから、皆様方へ伝えているのです。
「「劣等感」」なんて、誰にでも、有るものだが、なかなかと、自分から「「劣等感」」を除去できないし、また、助言者から教えられても「「劣等感」」は消失しないのです。

 自分の「「過去」」を振り返り、どうしても、自分の過去の{{こころ}}のカラクリを勉強しない・・・・・、今が大変に幸せに見えても、自分の{{こころ}}の底では、悲しい気持ちが動いています。
この悲しい気持ちを気づいている場合と、同じ人でも気づいていない場合があります。
要するに、自分の過去の{{こころ}}を明確に調べる事でして、母と父に「「感謝」」と「「恩」」を感じる能力を失わない事です、ね。

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