勉強だけを考え、勉強さえしておけば、親は喜ぶと、勉強を開始した人もいました。
親への「感謝」と「恩」は、全く考えず、勉強さえすれば、親は喜ぶものだと・・。
親は、あまり口煩くないけれど、自分が<<勉強が出来れ>>ば、とにかく、親が喜ぶと思うだけで、神経質にもなり、他者に負けたくないと勉強する人も居ます。
親が、あまり煩くないのだが<<とにかく、自分で勉強だけが一番と、睡眠が足りなくても勉強をする場合>>もあります。
学生時代を通して、大学に入った時には直ぐに、既に、目的も生き甲斐も無く自分で自分の生活を始めなければと思うのだが、自分の進む方向さえ不透明となっています。
ある年齢までは、未熟過ぎて<<生きていても良い>>のですが、その後が問題です。
目的も無く、唯、日々を生きるだけ、今の自分の生き様は、過去の考え方に「「裏打ちされている」」のに、全く理解出来ません。
(不安、恐怖、各種神経症、うつ病、躁うつ病、各種心身症、非行、拒食、出勤拒否、アルコ―ル依存・・・・これらも過去のストレス、諸々ありますが!!!)、
今の現在に<<悩むとか苦しむとか不安や憂鬱や肩こりや腰痛、その他の全てが・・・・・・・>>、自分の過去の思いが重複となっているのです。
人間の心・性格・人格、などなどが、どんな形で作り上げられてゆくのかが、全てに答えとして出てきます。
詳細に見ると、胎児として母親の胎内に居る時からですが、ここまで遡って親に文句を言っても仕方がありません。
親の因縁で此の世に誕生してから、新生児~乳児~小児~幼稚園~小学校~中学校~~更に、その後の、学校の生活、仕事や生活などなどの過程で<<自己同一性、人格>>などが作りあげられるものです。
第1期の不信感は満2歳までに作られます。
第2期の不信感は、その後の年齢で目前の対象を眺めて、 心が交錯しながら
作られます。
勿論、細かく見つめると、新生児や乳児の時までが、まだまだ重要な条件だと言われます。
乳児に、言葉もかけずスキンシップもなければ、人間として育ちません。
子供としては、育てられる過程で、親の言葉の一つ一つが子供の耳に突き刺さるくらいでしょうし、親の言葉が良ければ子供には優しい言葉として子供に植え付けられます。
最初は、親との接触や夫婦の関係などが、子供の大脳の海馬に植え付けられていきますし、全てのストレッサ―が子供の海馬に蓄積されて{{子供の自己同一性}}が創造されて、満18歳からは{{人格}}として創造されます。
人間が、自分の過去を振り返り<<反省の無い限り>>自分達の海馬での{{心の沈潜}}は、そのまま残ります。
自分の人生を「「幸せ」」に生きるには、必ず、自分の過去を<<振り返り>>自分の「「海馬の心」」を矯正する事で、全ての人生の問題は開けて来るでしょう。
悲しみや苦しい思いも、全く反対となり、「感謝」と「恩」の思い出だけにもなります。