<<心の世界>>感謝・恩・幸せ(9)

  一般の人達は、誰から話を聞かなくても、自分の事は自分が一番に良く知っていると言われるかも知れません。
そう、皆が同じように感じているでしょう。、

  少しばかり、一般の若年時の頃を振り返りますが、まだまだ随分と若年者の時に、親が「宗教」が嫌いだったから自分も「宗教」は嫌いとか、親が宗教を好きだったから、自分も好きだとか!!。
   また、そんな人達は他者から自分に言われる言葉や、他者が話しをする事にも、自分の耳に入れて、解釈したいと考える場合は少ないでしょう。
  正直なところ、勉強やこころの知識としてでも記憶しておかないと駄目と考えたり、{学習}だけが最大に大事だと考えて、{知識}を、記憶するだけの場合もあり・・・・・
いろんな人がいますね。

  時折、周囲に宗教に信心のある人が、宗教の話しを<<親への「「感謝」」と親への「「恩」」が煩く聞こえたり>>もします。
皆が、まだ、若くて未熟な時代が有るものです。
人間って、親が勝手に<<異性を好きで一緒になって>>子供が生まれただけだよと、そんな考え方を<<間違い>>ないよと、普通では、誰もが考えています。
実際に、当方も、親については、今でも、そう感じない訳ではありません。

  ですが、では、本当に{{人間世界とは、何か?}と聞かれ、その質問に合理的に答える<<能力を持ち合わせて>>いる人は、誰も居ないのではないでしょうか。
その分だけ、周囲の人達に対して、色々様々な{{余分な感情}}を抱いていますね。
あの人は、何時も自惚れているから、気にくわない・・・けしからん・・・嫌いだとか・・・一方で、自分よりも勉強できる人がいたら{やきもち}・{嫉妬}・{妬み}などなども抱えたりもします。

  運動でも<<負けると>>悔しいとか、自分は背が低いから<<もう少し高い>>と良かったとか、自分の幼い時にですね、そう、周囲の生徒達が先に成長しまして、並ぶ順序が次第に前になってしまい、それだけでも悲しい思いをする人達も居ます。 
何か、「劣等感」の塊になっていながら、自分の根源の心に気づいていません。
唯、背の{低さ}、或いは、背が高過ぎて{悩む}、更に、{勉強できない}で悩みます。
勉強については、自分が嫌いだから勉強しないので、成績優秀である筈が有りません。

 大勢の人達の前で話をできない事も辛い思いですが、そんな人達が沢山が居ます。
周囲の生徒達とも、皆と仲良くなれないなども、悩みますね。
もう少し、{人相}が良かったらとか、女性の友達が欲しいと考えても、女性の友達ができない、女性とは話をする勇気も持てません。
人間は、自分自身が<<何をする>>につけても自分に自信が無ければ、全てにつけて悩みを抱えてしまいます。

次の{{閲覧文}}で、詳しく続きます。  

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