此の世に誕生して、赤ちゃんから子供になって成長します。
ある程度の、子供に成長すると、自分の考え方も出て来ます。
少しながらの判断能力も出て来ますから、自分の親とか自分自身について、
外観的(自分の眼で外界を眺める)ではありますが、それなりに考えます。
自分が{得}をしているのか、{損}をしているのか、などですね。
先ずは、子供ながらに、自分の周囲に目を向けます。
家庭環境、近所の環境、最近では、保育園に入るのも、早いですね。
1歳未満で預けられる場合も、ありますからね。
2歳~3歳~4歳~5歳、などで、親の仕事の関係で保育園とか幼稚園とかに、預けられたり行かされたり、色々な環境変化が起こっていきます。
子供達は、1歳~2歳くらいでは、自分の世話をしてくれる人達に目と心を奪われて、苦しんだりする場合もあります。
この事については、周りからの影響であり、自分の意思は通らず、未だ、自分の考え方を自分で運べませんから、「宿命」となります。
少しながら成長して、学童や生徒や学生になって来ると、親を見る眼が出てきます。
自分の置かれた立場とか環境にも、より多く眼が行きますね。
私は、立派な親の元で誕生したかった、と思っても仕方がありません。
立派な親と言っても、誰から見れば立派なのかでしょう。
生まれた子供達から見れば、もっと別の心を持った親、例えば、自分にとって優しい親、自分を構ってくれる親、育て方の上手な親であって欲しいと無意識的に感じるでしょう。
親について、会社や近所の人達が、立派な人間だと言っても、子供達には、関係ありません。
勿論、子供達の年齢によっても、親を見る眼が違ってきます。
親は一生懸命に、育てている積もりでも、子供達の受け方がありますので、親は気づかず、子供達にストレスを投げ続ける場合もあります。
親がお金持ち・地位・名誉が、子供達によっては「運命」ではなく、「宿命」となりますね。
母親が、美人で欲しかった。
母親が、身長が高くてスマ―トであればよかった。
母親が、もっと優しい人であって欲しかった。
母親が、もっと几帳面に何でもできる人であって欲しかった。
母親が、勉強、勉強と言わない母親で欲しかった。
母親が、もっと頭が良ければと、思った。
母親が、もっと社交的であって欲しかった。
母親が、もっと賢くて欲しかった。
誕生して来た子供達が、何を考えても如何ともし難いものであります。
これら、全てが、子供達への「宿命」ですね。