天から預かった生命、「宿命」や「運命」や「使命」など、人が如何に人生を生きるかでしょう。
先述した事もありますが、人の心は<一念三千>と言われるように、不安・悲しみ・嘆き・悩み・不平・不満・やきもち・嫉妬・妬み・淋しさ・孤独・怒り・憎しみ・怨念・呪い・嘘・盗み・罪、などなど、細かく調べると<限りない人の心>が出て来るでしょう。
勿論、楽しみ・喜び・嬉しさ・安らぎ・憩い・爽やかさ・豊かさ・幸福、などなどを感じて生きる人達もいますね。
少しながら、人の心・感情を記載しましたが、そんな一つの心にしても、微妙な<感情の違い>は、数え切れないでしょう。
悲しいにせよ、幸福にせよ、「天」から授かった自分の{生命}であります。
勿論、母親とか父親とかから、生命を頂いたと言えば、全部の人達が理解できるであろうと確信はしています。
でもね、例外が有るのですよ。
心理療法の世界では、{境界例症候群とも言いますが、顕著な境界例者は<母から命を頂いた、父から命を頂いた、などを実感>できません。
此処で、何を申し上げたかったか、ですね。
大事な事ですが、自分の命は何処から頂いたのか、何処から自分はやって来たのか、明確に確認して生きる事なのです。
意義深い言葉が、あります。
「人間は何処から来て、何処へ行くのか」、などと言った心理学者がいます。
心の底から、喜び楽しみ安らぎの心を持って生きるには、人は自分の歩いて来た{過去の軌跡}に納得出来さえすればよいのです。人生を幸せに生きる事ができる筈です。
自分の{過去の軌跡}に納得できる人は、無意識的にせよ、それなりの「宿命」とか「運命」とか「使命」などを、感じているでしょう。
だが、恐いというか、情け無いというか、人は自分の目前の{難題}に衝突した時に、自分の{過去の軌跡}が、現在の自分の心を圧迫するようになってきます。
自分の{過去の心}が{現在の自分の心}を強迫して来る状況も、出て来るのですが、大衆は知っていません。理解しようともせず、耳を傾けません。
自分の現在の心を修復するには、自分の過去から矯正した方が、遥かに現在の心も矯正されて、悩みや苦しみは消去できるものです。
悲しみや嘆きや怒りも、簡単に消去できます。
時には、懸命に、自分の命と自分の心に向きあって、{自分とは、一体に何者か}などと、確認しておかなければなりません。
この事実も、全てが「天命」とも関係していると、言えます。
自分とは、一体に何処から来て、何処へ行くのでしょう。