読んで<字>の如くです。
①.天の{命令}だと、言えます。
②.自然に身に備わった「運命」、とも言えます。
③.天から与えられた寿命、とも言えます。
色々な考え方が、有ると考えます。
ですが、基本的には、上記の三つしかないのでは・・と思っています。
しかし、人間ってそれぞれに執着心があるので、自分はそう考えないという人もいるかもしれません。
次の考え方を持っておられる方も結構いるようです。
それが、良いとか悪いとか、など申し上げる積もりは全く無いのですが・・・。
その一つを書いておきます。
個人的に、俗世間に執着しながら、「宿命」・「運命」・「使命感」などは何とも考えずに、名誉や地位や権力を利用して来て、<自分の力で周囲を動かして生きて来た>積もりですが・・、やがては年齢を重ねて、眼前に自分の終末が来る事に、全く気づきません。
ふと、我に返って、自分の歩いて来た過去の軌跡を辿って行き、自分の過去の歩いて来た道を{大満足}だと感じます。
有る意味では、自分の思った通り、自分の執着した通りに、人生の終点まで生きて来た人の中には、<これが自分の「宿命」だ、「運命」だ、「天命」だ>と言う方達も居ます。
「功なり、名を遂げて死す」は、{{天の道}}と言った人が居ます。
この方は、あまりにも有名な人ですが、自分の計画通りに、自分の人生、自分の「運命」を執着しながら、創造して来た積もりだったに違いありません。
この人にとっては、我欲の塊どおりになって生きて来られた人生に<私の人生は幸せ>だったと、自己満足していますよね。
突き詰めて考えれば、{{②}}に近いとも言えます。
さて、人間社会では沢山の人達が、自分の心の底に{心の葛藤}を蓄積して溜めながらも、自分のストレスに気づかず、又、自分の<我欲だけで世間を生きて>いるのですが、気づきません。
人生の価値とは何??生き甲斐とは??死に甲斐とは??自分とは何??など、常日頃から、「人生とは{何}ぞや」、と考えておくことですね。
そうでないと、自分の人生の{終末}が眼前に、迫った時に、「天命」なんて、気づけば良いのですが、普通では<嘆き悲しんで>、自分の生命を終わって消えて行くでしょう。
また、平常、死んで行く人の悲しみを伝えている場合が多いですが、本当のところは、残された人の心にも<嘆き>と<悲しみ>などは、頭の中にこびり付いて、暫くは悩み・苦しみ・淋しいでしょう。
寂しい「天命」となります??
宿命、運命と重なってきますね。