まだまだ、簡単に表現すればですね、人間の「「煩悩」」を適当にコントロ―ル出来れば良いだけですけれどね。
「「言うは易し、行なうは難し」」でしょう。
何時何時までも、大変で困難なのが、人間の「「煩悩」」を適度にコントロ―ルをすることなのですが、本当に難しいのです。
何度か、皆様方に伝えていますが、繰り返して記載してみましょう。
人間の「「煩悩」」とは、数えられない程の「「煩悩」」が有るとも言われています。
人間の思いも、「「一念三千」」と言うくらいですよ、ね。
何故に、人間は悩むのか、そんな「「悩み」」に対して「「疑問」」を持てば良いのですが、私には「「悩み」」なんてありませんよと、悩みながらの本人が{{そう、思っています}}から、人間の{{こころ}}とは不思議なものです。
互いに、自分の好きな「「煩悩」」だけを抱えて生きるのも大変ですから、お互いが他者の「「煩悩」」に合わせて「「共感」」する{{こころ}}が有れば良いのですね。
それなりに、沢山の人間が居ますが、「共感」」の前に、「「妥協」」とか「「受容」」などが必要でしょう。
勿論、人間世界を生きるのには、「「拒絶」」も必要でしょう。
誰に対しても、「「受容」」と「「共感」」ばかりをしていれば良いと言うものではありません。
この方とは、絶対に「「相性」」が悪いのだと確実視したら、矢張り、「「拒絶」」は必要なのであり、誰とも皆と仲良くするのは無理です。
人間、自分の事ばかりを中心にして生きると、必ず、{{こころ}}が疲れますし、{{からだ}}も疲れるものです。
{{こころ}}も{{からだ}}も疲れてしまいますと、人生が次第にでも、嫌いになるでしょう。
「「人生」」を嫌いになれば、生きている「「価値感」」も少なくなります。
自分の「「人生」が面白くないですよ。
誰かとでも、誰かとでも、「「気持ちが合って」」から、初めて「「人生」」は楽しくなるものです。
友達と言うか、知人は沢山と必要ありませんよ。
一人でも仲良い友達がいれば、良いでしょう。
人間って、面白いもので、人が嫌いならば・・・、特別に「「うつ病」」などになれば・・・、誰一人として「「気持ち」」が合う人は居ないでしょう。
そんな時には、山奥深くにでも入って一人で暮らしてみれば、また、「「寂しさ」」も分かります。
或いは、大海の「「絶海孤島」」にでも一人で暮らせば、矢張り、人間の{{こころ}}の弱さとか、{{こころ模様}}も少しながら理解できるでしょう。