勉強にせよ、仕事にせよ、芸術にせよ、人は誰もが、時には<精力的>に、心身を動かさなければならない時が、あります。
ある宗教では、人が<逆境に陥った>時には、神の与えた<試練>だとも言います。
人生を生きるのには、100人が100人とも、考え方は違います。
1000人が1000人とも、違う、なんて言う人達も居ますが、これが現実ですね。
だが、地球上で人間が自分の人生を生きるのに、ある一定の思考体系が重要になります。
人間の個人の考え方は、どんな考え方をしても構いません。
但し、人間世界には、沢山の法律とか色々様々な掟が有ります。
分かり易く言うならば、ル―ルというか規則ですね。
道徳も大事でしょうが、道徳などは、格別に時代の流れや環境で<変化>します。
勿論、法律も、時代の流れで<変わり>ます。
多くの人達は、人間世界を生きるのに、自分を中心的に、外観的な生き方をしますね。
自分の眼で{目前を眺め}て、好きだとか嫌いだとか差別して分別して生きる訳です。
唯、唯、唯、自分の考え方と意志だけなのです。
自分の考え方だけで、人生を生きて欲しくありませんね。
親から頂いた{生命}ですよね。
親から命を貰っただけでなく、{神秘}とか{畏敬}とか{畏怖}とか、{宇宙}からも、人は{生命}を貰っています。
宇宙の中の、一粒の命なのです、宗教に信心のある人達は、自分達が属している{神}や{仏}から、生命を頂いているとも言います。
考え方によっては、自分の生命は、自分の生命ではありません。
何となく、不思議な場所から、この地上に現れた、一時の借り物でもあります。
地上に生命を頂いた、唯、それだけですが、頂いた生命を燃やすには、「使命感」ですね。
両親からにしても、私の意志でこの地上に現れたのではありません。
誰から、どんな形で、どんな物から、この自分の{生命}を頂いたのでしょう。
人間社会では{不平等}ばかりが実在していますが、「使命感」があれば、大丈夫です。
その事について、{不平等}を無くそうなんて考える事は良いのですが、現実には個人の意志は<思うがままに、ならない>のです。
人間は、{欠乏欲}の塊と言うくらいで、<我欲>の塊になっています。
人間同士が、よく地上で、何事につけても衝突するのですから、人は強固な<バイタリティ―>が必要で、[使命感]を持っていた方が遥かにエネルギッシュとなります。
あれが欲しい、これが欲しい、と欲望を求めても、何も自分の思い通りにはなりません。
自分の非力を、知る事ですね。
そして、その{非力}を認めるのです。
どんな状態に置かれても、「使命感」だけ!!
誰の??誰でも良い??何か??何でも良い??
でも、視野を、心の{器}を大きくしておく事です。
自分の尊敬対象、崇めている物や事からの「使命感」を持つ事が大事です。