先日してきた「宿命」とか「運命」とかについて、しっかりと納得できるのが良いですけどね・・・。
でも、「使命」については、「宿命」とか「運命」とかを知らなくても、無意識的にでも理解できている人達も居るでしょう。
或いは、神や仏の{使命感}となると、少し宗教についても理解できないと駄目でしょうね。
子供によっては、幼い子供達でも、或いは、学童、生徒、学生の人達でも、親の「使命感」を無意識的にせよ、また、意識的にせよ、悟って自分の「運命」に上手に適応したり順応したりしている人達も居ます。
「使命感」を悟れば、その人は、大変にエネルギッシュになります。
体得した事の無い人達には、「使命感」の意味を理解出来ないかもしれませんね。
本当に体得出来れば、自分の心のエネルギ―を、掘り起こす事ができるでしょう。
「宿命」と「運命」を背負う事が、「使命感」でもありましょう。
勿論、母の「使命感」があります。これも、非常に大切ですね!!!
父からの「使命感」が、あります。これも、大事です!!!
はたまた、尊敬している人からの「使命感」があります。
此の世に誕生を受けた<有り難さ>からの「使命感」が、あります。
自分が誕生を受けた時から~終末までを悟ってまでの「使命感」が、あります。
人によっては仏の「使命感」が、あります。
神からの「使命感」なども、ありますね。
人間って、普通は誰もが自分の意志で生きている積もりです。
自分の意志よりも、何か、或いは、誰かの「使命感」を頂いて生きる方が、遥かに楽です。
生き甲斐って、よく使う言葉です。
でも、自分で自分の意志で、私の{生き甲斐}で生きていると言っても、それは小さな生き方ですよ。
何か周囲から<させられる体験>ですね。生かされる{喜び}ですね。
させられ体験の方が、疲れませんし、こちらの方がバイタリィティ―がありますよ。
但し、嫌々、させられていると思うのであれば、それは{生き甲斐}とは、なりません。
今、述べたように、誰からでも良い、或いは、神様や仏様でも良いのです。
ですが、時には、宗教に関わって来ると、歪な宗教もあります。
そんな歪な宗教に、属さないように願うだけですね。
変な宗教、怪しげな宗教に染まると、染まった人達は哀れな人生を歩く事になる
でしょう。
客観的な視野があれば、自分で人生の<どん底>に落ち込む事は無いですね。
させられ体験は、自分の意志でやるのではないから、疲れません。
そこには、生かされる「使命感」が、ある筈だからです。