何故、面白いかって、ですね。
心が間違っていても、自分の間違っている心を認めないところが、面白いのです。
だって、本当に、そう思います。
悲しいとも思いますが、当方が如何に考えてみても、人間の愚かさなのですね、
面白いですよ。
家族の中でさえ、最近は、どうにもならない現象が沢山と起きていますからね。
子供の親殺し、子供の祖父母殺し、親の子殺し、更に、現代社会の長寿の世界は望ましいものではありますが・・・・年老いた子供が年老いた親を殺す、家族の中で夫婦が互いに年老いて家族で介護しながら、介護疲れで配偶者を殺すなんて事件も発生しています。
家族でも、どんな集団、趣味の集団、会社での人間関係、一国の人間関係、地球上の世界での民族や宗教や政治での人間関係、などなど、全てが人間関係と、やはり、人と環境の問題になりますね。
小さな地球上で、人間が仲良くならないところが悲しいのですが、考えようによっては
<面白い>です。
どうにもならないところが、<面白い>です。
だって、誰も<争いごと>を望んでいる人達は居ないはずですね。
普通の一般の人達は、自分の眼を外界に向けて生きていると伝えましたが、・・・・・。
こんな話も、あります・・・、「少数の賢人が内を見て、人を救う」・・こんな大事な言葉があります。
そう、潜在意識と無意識までを、しっかりと見つめて自分の心を知り尽くして、
人生を生きれば{悩み}や{苦しみ}を抱えないですむのだと、そんな意味の
大切な言葉なのです。
自分の欲望ばかりを満足させたいと、考えて生きる事に専念するから、当然に他者とも心の<摩擦>が起こるのが当たり前ですよね。
先刻、述べたのでもありますが、政治家や多くの人達が国民や集団の利益を代表して
<物事の進展>を求めて発言もしますね。
人間世界って、人間同士の{争い事}、また、表には見えないところで庶民の知らない{大変な争い事}も起こっています。
しっかりと眺めていると、人間世界って本当に大変のようですよ、見方を変えれば、また、面白いものです。
{地上の平和}なんて、絶対に??、起こりっこないみたいですよ。
精々、「地球の平和」を祈るしかありませんね。
そんな中で、一般庶民は自分達の出来る範囲の事柄を努力しながら、今の自分を生きるしかありません。
だが、各々の人々が自分の一生を生きるのに、
<愛を奪う>だけでなく、<愛を与える>言葉や行為や心が、何よりも大切ですね。