医療と介護の援護を受けて、人々は生きられるところまでは生きる事にしましょう。
何故、ここまで話をするかと言えば、ですね。
ここまで見ておかないと、自分の人生を生きるのに、案外と納得できない人達も居るからです。
最後には、必ず、死神が、自分に追いついて来る。
その{死神}を受け入れる事まで、悟っていれば気楽になれるのですがね。
多くの人達は、自分の{死}、或いは、{死}の話を毛嫌いしている場合が多いです。
{死}考えたくない、{死}を避けてなどと、よくよく言いますよね。
人生、人間の一生涯を、心底と見ようとしないのですから、悩みながら心の葛藤を持ちながら生きる事になります。
人間って、永遠に生きる訳ではありません。
{死}は、素晴らしく早く自分に訪れて来るものです。
その{死}を受け入れれば、自分の人生を悩む時間なんてありません。
時間を大事にして、一生懸命に自分の持てる能力と力量を発揮して生きる事になります。
何時までも、生きている、何時までも寿命があると思うから、悩んだり悔やんだりしますね。
人生は、<短い>のです。
本当に、人生は<短い>ですよ。
少し難しいかも知れませんが、{無常観}なる言葉があります。
人生の最高の<悟り>でしょう。
ある大学の心療内科の教授が、言っていました。
当方は、聞いていて<違和感>を感じましたが・・・・、
その人の言葉が、分からない訳ではありません。
大学の心理学科の教授や、精神科や心療内科の教授にも、{無常観}を悟る事は大変に難しいですからね。
そう、当方、心理学科の教授と話しをしていましたが・・・・、
{無常観}の話にまでなると、自分の範囲を超えて体得できません、と言われていました。
それほど、人間は死ぬ、自分は死ぬ、などの現実を体得できないから不思議でもあるし、人間って面白いとも思うのです。
当方、よく話をします。
勿論、話しても伝わらないのは分かっているのですが・・・ね。
自分の親が亡くなった時には、多くの場合で葬式をして火葬して他界に去って行くのですからね。
親が、人間は<自分の体でもって、人は死すべき存在だと>教えてくれているではないかと、伝えるのですが、やはり、なかなか思ったように伝わりません。
難しい{話}でしたが、今回はこの辺で筆をおきます。