そう、人が生まれてくる事、誰も平等には生まれて来る訳ではありません。
生まれる時に、既に、不平等があるのです。
生まれた時には、人の能力とか力量とか、ある意味では決められている場合もあります。
先天性で、生まれつきに<頭が良い>とか、何か<特殊な才能>を持っている人も時折におられます。
ある程度、人は成長してくると、眼前の事象を眺めながら、自分の社会での<存在>と他人の<存在>を比較します。
{比較}、{差別}、{分別}などを持ってしまいますので、そこから{拘り}、{執着}、{我執}などが生じて来ます。
人生、人間社会では、{平等}であるべきだと考えます。
本当に、ですね。ともすれば、人は何事においても{平等}を求めるものです。
人生、この世には、そんな{平等}なんて絶対にありませんよ。
{不平等}が、人生の{掟}とまで理解できるようなれば、案外と心は気楽になります。
何で? そんな事を考えたら、腹が立つではないかと言われる人もおられるでしょう。
だが、そんな事情、人生は{不平等}だとお話をしても、そんな事はないと考えている人達もいます。
きっと、心の底では、ストレスが溜まるでしょう。
当方が長年月間、心理療法に関わっていますと、社会適応できていない人達は、皆が自分の心深くに{平等}が無いと<不満>を抱いています。
人間世界、この地球上で、あらゆる地域を見ても、人間社会には{平等}はなく、あるのは{不平等}のみです。
だって、人は常に自分が<得をする>ことばかり考えます。
他人が傷ついても、自分の{得}を選びます。
そういう場合をみて、<けしからん>なんて言っても人間世界の真実なる出来事です。
自分が立腹しても、なす{術}はありません。
政治、経済、宗教、民族、詳細に見ていくと、ですね、色々な企業、商社、経営者、小さいお店の商店主から、サラリ―マン、本当に沢山の人達が居て、沢山の出来事があって、人間世界は成り立っています。
昔から{働かざる者は、食うべからず}の言葉がありますが、昨今では、時代の変遷もあり、それなりに裕福な時代になっているのでしょうか・・・・。
人間個人は、自我の主張、やはり、自分の得をする事ばかり考えて、自分中心の立場で自己主張するのが、常なる事と思って良いですね。
{欠乏欲}とも、言われていますが、人間の個人の欠乏欲って、大変ですよ。
政治家や宗教家も、やはり、同じみたいです。
それぞれの集団の{欠乏欲}も、凄いです。