多くの人達は、自分を中心にして、俗世間を生きるものです。
自分が、一番に大切なのです。
「「自尊心」」と言う、言葉が有ります。
私が、あまり好きでない言葉です。
何故かですね、読んで字の如し、です。
自分を尊重する「「癖」」だけは、持たない方が良いでしょう。
自分を尊重するよりも、他者を尊重する気持ちを持つ事ですよ。
出来るだけ他者を尊重するよう、努力する、出来ないものは、恐縮です、などと、{{こころ}}の底から考える事なのです。
他者へ「「真心」」で、何かをしてあげる事、自分の出来る範囲の事をしてあげるのですから、出来なかったら、御免なさいと誤れば良いでしょう。
また、自分を一番に大切にすると、必ず、無理が生じるものです。
人間世界を生きるのに、自分が最高に「得」をするなんてありません。
出る釘は、打たれるものです。
自分が、必ず、損をする場合も有ります。
そう、自分の周囲や、未だ、知らない人達の事柄も考えるのです。
立場を変える事でしょう。
相手の立場に立って、考える能力と力量を持つ事なのです。
相手の立場から、自分の立場を観察できるようになりますと、立派な人になるでしょう。
此の世を生きるのに、悩み苦しむ人達は、自分の事を一番に考えて「「得」」をしたいから、悲しい思いをする事になります。
自分を中心に、他人が回ってくれる筈もありません。
自分を中心に、太陽が回ってくれる筈もありません。
とにかく、自分が脇役で生きられる事が、最大に重要でしょう。
だが、現実に、自分が楽しく生きる、{{こころ}}の葛藤を持たないで生きる{{策}}を教えても、なかなか人間は{{助言}}を貰っても、頭の中を通り過ぎてしまいます。
自分の体に染み付いていないので、矢張り、自分の考えを中心にして生きる事を考えます。
他者を尊敬する事が、大事ですが、多くの場合で、他者の悪口を言っても当然だと思う人達が多いです。
自分を考えてから、「「私は、駄目な阿呆な愚かな、そして、悪人だと認める事」」ですね。
悩まない人間、になれますよ。
自分が駄目人間だと、簡単に、自分を卑下するのではないのです。
自分は本当に真実に「「愚かな人間」」だと認めると、他者からどんな{{悪口}}を言われても、立腹する必要も無いし、悩まない筈です。
相手の気持ちを考える事、これが「「身代わり不可症候群」」でしょう。