人間社会には、沢山の病気の人達が居られます。
人間に付き纏うものは、「「四苦八苦」」と言いまして、殆どの人達は{{こころ}}の勉強をしないままで、悩みながら苦しみながら生きているのが、現状でしょう。
何故、悩むかです、ね。
だが、これは、後回しにしまして、最初は、人間には{{からだ}}と{{こころ}}の両方が有ります。
いずれにしても、人間は、如何に偉そうに賢そうに「「自惚れて」」も、やがては、必ず、自分の思う通りにはならない「「時間」」が訪れて来ます。
先ずは、{{体}}について、人間の寿命ですね、日本と各世界の国々では「「平均寿命」」も違います。
これは、「「平均寿命」」が長いからと言って、あまり自国の「「誇り」」と思うものでもありません。
何故でしょうか、ね。
そうです、国々の財政&経済状態とも「「平均寿命」」は少なからず関連してきますから。
人間の体は、何歳で使い物にならなくなってしまうのか、幼い時に決定できません。
面白いです。
一人の人間を、強固に医学管理をすれば、105歳や110歳まで生きる事が可能かどうかでしょう。
絶対に、人間の「「寿命」」を、外側から決定的な管理をできないのです。
自分の「「生命」」は、自分の「「生命」」であって、他人と入れ替わる事は出来ません。
それこそ、「「身代わり不可症候群」」であります。
相手の方が、大事な人で、今、死ぬ状況にあるので、自分が入れ替わってあげたいと考えても、100%不可能です。
「「身代わり不可」」です、ね。
肉体的には、100%不可能です。
だが、肉体的にも、他者と気持ちだけは「「身代わり可能」」の場合もあります。
これが出来れば、自分の悩みや苦しみも、少なくなる筈です。
時には、自分の尊敬する人とか、自分の子供とか、或いは、自分の親とかですね、「「死に別れ」」とか「「生き別れ」」などが有ります。
「「生き別れ」」でさえ、随分と悩んだり哀しんだりする「「機」」も有ります。
人間は、一人では孤独ですから、いつも誰かと一緒にいたいのが本質的な「「欲望」」でしょうからね。
何事も恵まれた状況では、全てに対して、人間は自分の「「欲望」を満足させたいものです。
此の世では、肉体的には、絶対に不可能な「「身代わり不可」」でさえ、希望する場合もあります。
{{こころ}}の「「身代わり不可症候群」」について、すこしずつ記載しましょう。