<<人間の犯罪>>他殺(8)

 しばしば、裁判などにて、殺人の気持ちがあったのか、無かったのか、などなどの報告がなされています。

殺人の意識なき{{こころ}}には、殺人は起こりえないものです。

例えば、精神病にても、病気によっては、見ない他者や見えない何者かによる命令を受けたとか、「「幻覚」」や「「幻聴」」にしても、また、「「妄想」」にしても、それを理由に、だから、他殺の気持ちは無かったのだと言ってしまえば、こんな判断も恐ろしいものです。

 

 勿論、薬を服用していれば、このような{{事件}}は起こらなかったと言う場合もあるでしょう。

では、この人達の管理を、誰がするかでもあるでしょう。

家族、子供の病気の場合や、配偶者や親の病気の場合もあるでしょう。

病気の人達が絶対に、薬を服用しないと言ったばあいなどは、どうするのでしょう。

当人が、薬を服用しないと言ったら、そんなに簡単に薬の内服が上手くいくものでもありません。

 

 薬を絶対に服用しないと、絶対に駄目な人達が居るのです。

そのような人達が、薬を服用しないで、或いは、病院に罹っていないでも、親達が病院に行くように勧めても、言われた言葉を素直に受け止めない人達も沢山と居ます。

そんな彼等が、「「他殺」」をおこした場合には、周囲は如何なる対応をするのでしょうか。

「「他殺」」に関わる裁判の判定は、確かに、本当に難しいでしょう。

援護するか、援護しないかですがね。

また、「「裁判」」で、刑罰を軽くした場合では、次回には、また、同じ様な「「犯罪」」を繰り返す場合もあります。

 

 特別な精神病でない人達でも、沢山と同じ様な「「犯罪」」を繰り返すものですからね。

「「事件」」や「「犯罪」」を起した人達は、必ず、「「懺悔」」が出来ていないと、同じ事柄を繰り返す場合が多いでしょう。

「「懺悔」なんて言いますと、人間は案外と、この言葉を嫌いだと思いますが、当方は、人間にとって、一番に大事なものは「「懺悔」」だと考えています。

私は、{{こころ}}が正常だから、「「心理療法」」なんかを受ける必要は無いと思っている方達でも、「「懺悔」」は必要なものです。

{{体験}}をしてみないと、理解できないでしょうがね。

 

 {{心}}の病気でも、{{体}}の病気でも、「「懺悔」」だけは本当に大事なものです。

自分は、真面目な人間だと思っている人達でも、少しの問題が起こるだけでも、瞬間的に人間の{{心}}は、変化するものです。

一般的に、「「懺悔」」できている人達であれば、「「他殺」」などの凶悪な事件などは起こさないでしょう

自分の{{考え方}}は間違っていると自覚できる人達は、幸せな人達です。

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