<<不透明な道>>不透明な道(20)

 さて、あまり難しい話を続けても皆さんが理解するのに大変ですね。

最終稿として、一番に分かり易い<<話>>にしておきます。

 人々の間で、時折、話題になります。

自分が何歳で、死ぬるのか知る事が出来れば、生きているのも<気楽>になるのだが、なんて言う人達もいますが、話で<こんな台詞を言う>だけで、本当は、死が怖いのです。

こんな台詞を言った後には、直ぐに、また、自分の思いを変えます。

だって、人間にとって、最大に恐怖なのは、{{自分の死}}なのです。

 

 人は、自分が何歳で自分の生命を終わりたい、などと呟いたところで、自分の{{生命の長短}}については、此の世の誰一人も決定できる人は居ません。

(人間が作り上げた・・・・・・・)神や仏さえも、偶像と言っておきたいですが、自分の生命の終末の日時と時間を教えてくれません。

 いや、教えると言うよりも、100%の事、そんな人の終末の日時と時間なんて分かりっこないです。

自分の終末の時が分かれば、なんて言って偉そうな事を言っても、人間は駄目ですよ。

皆が、自分の「死」に対して恐怖で、慄いて悲しみながら苦しみながら、生命の{終焉}を迎えるようになっています。

人によっては、「死」の話しをするのを忌避するし、話題にも耳を傾けないです。

 

 本来的には、誕生した以上は、自分の「死」を避ける事は、絶対に出来ません。

そうであるからには、人間の「死」、自分の終焉である「死」を受け止めて生きると、それなりに、より良い人生を生きる事ができます。

また、それが出来れば、今の自分よりも、更に、エネルギッシュな{自分}に人格を改造できるものです。

 でも、難しいですね、体で己の「死」を悟るのは難しい!!!。

何歳で、死にましょう、なんて言っても当たらないですからね。

自殺するのであれば、日時も時間も決める事は出来ますが、こんな考え方も誕生の時から考えている訳ありませんから、途中で、その人の予定していない{不透明な道}を歩く事になってしまったのです。

 

 こんな考えは、{人間社会とは、何??}、{己とは何??}

{自分の命とは、何??}、など、真実の自己&真実の自己の心を自己探求していないから、突然に<悲しい考え方>になってしまいます。

 人生を<透明に生きよう>と考えても、どんなに人生を悟っても、自分の{死期・死の日時}は、不透明です。

故に、{不透明な道}・{不透明な人生}・{不透明な世界}だと、逆に、納得して、全てを受け入れると、楽しい人生となりますが、これが、「インタ―ネット心理療法」の世界です。

人生が最高に嬉しく、楽しくなるでしょう。      

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