<<人生>>「社会適応」(14)

 上記、社会適応などと、書きましたが・・・・・、

この社会適応も、ですね、世界の国々まで入れて考えると、本当に大変ですよ。

 

 自分の置かれた立場、これはですね、自分が誕生した場所からが、始まりですよ。

どんなに、自分が努力しても、自分の住んでいる場所や状況や環境や人間関係などにしても、変わりようの無い環境の場合もあります。

例えば、国の独裁政治とか、国家に少し反抗とか、意見のような言葉を演説したり、ビラを撒いたりするだけで、政治犯として逮捕されます。

だから、どんなに社会に適応しようと考えて努力しても、無理な場合も有ります。

 

 ここまで考えますと、社会適応と言っても、少し話が大変となります。

人は、逆に、貧困な国の人達ほど、辛い状況や環境にも案外と耐える力を持っています。

そのまま、貧困の状況にも<不満や不平を持たないで>、悲しくても、忍耐強く、生きているようです。

大きな視野で眺めていると、その事が幸せだとは、言いません。

ですが、人間はどんな状況に置かれるか、常に、不透明・不確定・不確実ですね。

 宿命、運命、天命、の中などで生きているだけですよ。

この3つの{命}に翻弄されながら、人は一生懸命に生きているのです。

例え、何時、何処で、どんな時期に、どんな環境に、自分の{命}を投げ込まれても、誰に文句を言っても、どうにもなりませんよ。

精々、自分を此の世に誕生させた自分の親には、少しくらいの言い分はあるでしょう。

これも、場合によってですけれどね。

 

 確かに、ひどい親も居ますよね。

赤ちゃんを誕生させたが、置き去りにするような親も居る訳ですからね。

また、置き去りにはしなくても、育てる過程で子供達を上手に育てる事が可能か、どうかでもある。

 時には、子供への虐待なども、有るのは、全ての人達が知っているところである。

そんな子供達が、大人になった時に如何に自分の人生を、世の中で生きるのに適応できるのだろうか???

自分以外の他者を信用する事、信用してはいけない他者を区別する事など、自分の生き様と自分の心の中に、しっかりとした{眼差し}を持って養っておかなければならない。

 

 そう、確かに、人は、眼前の人達を、誰も皆を心から信用するのではなくて、「受容」、「妥協」、「共感」、「拒絶」、などなどについても適度に自分で判断する能力を自分の心の中に育てておかねば、ならないと考える。

 要するに、自分の信念が大切であるが、その信念が、客観的に誰が見ても、この人の考え方は駄目だと言う場合では、あまりにも問題があるでしょう。

 

 己の心の「器」がどれほど、大きいかですね。

心理療法」が大事です。

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