<<人生>>「社会適応」(7)

 人が、ある程度でも成長して社会に出ますとね、お金を欲しがるものです。

普通の日常生活で、<お金は欲しくありませんか>と尋ねると、多くの人達は<お金は欲しくない>と答えます。

心の奥底では、誰も人は<お金が欲しい>と望んでいるものです。

だが、自分の心の浅い世界では、気づいていません。

{負け惜しみ}を言っているのですが、気づかないので困ります。

  

 唯、人間の価値観によって、人に一番に大切な物は{{何}}かと、問われれば、その人の置かれた状況によって違います。

同じ人でも、時間と場所と状況が変われば、お金は欲しくないと言っていた人が、突然に豹変してゆきます。

お金が欲しいと、言い始めます。

人は、時間と空間の中で生かされていますが、常に自分の周囲の状況は変化しています。

だから、置かれた状況も、誰もが、常に変化していますので、心は変わって当然でしょう。

面白いのは、お金が溜まって来ると、今度は別の物が欲しくなるものです。

 

 今は、社会適応の話ですが、人はどんなに偉そうな事を言っても、お金が一銭も無いと、日常生活でさえ生きる事が出来ません。

だから、どんなに芸術に秀でていても、その生活について廻る最低限のお金は、必要でしょう。

1日に一度も食事ができない程の貧困では、生きる事ができません。

そんなに多くのお金は必要ありませんが、人間って面白いものです。

お金を沢山と持っていても、お金を次から次へと欲しがります。

 人の金銭に対する欠乏欲は際限が無い程に、あるものです。

お金、お金、とボヤイテ生きる人もいます。

お金が無いから、ボヤイテいる人も居ますが、お金を沢山と持っていてもボヤク人が居ます。

それに、人は高齢者になって、自分の{死}が間じかに迫っているのに、その自分の{死}を見つめずに、お金に拘り続けて生きています。

決して、もう自分には、これ以上のお金は要らないよ、なんて考える人は少ないものです。

 

 本当に、哀れですよ。

人は、年老いてしまっても、自分の見栄と虚栄心が捨てられずに、お金、お金、と叫んでいるようだし、実際にそんな人達が、沢山居ます。

無料奉仕活動、なんて考えようとしません。

勿論と、例外があります。

それなりの、自分の仕事と金銭をしっかりと計算して、満足しており、お金に飢えていないで満足した生活の人達も見られます。

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