小学生頃になると、色々と自分の自己主張をしたくても、恥ずかしくて出来なかったり、また、言ってはならない事まで言ったりと、諸問題が表面化してきます。
小学低学年と高学年とでは、かなり心のズレが有りますが、当然です。
ですが、人間って、小学前から、自分の親や周囲の人達にも結構と<嘘を言って>いたり、会話も行動も案外と意識しながら化けているものです。
しかし、この事実は、確実に自分の過去を振り返った人たちでないと理解できないかもしれません。
これは、心が化けている事になりますが・・・。
悲しいのは、惨めなのは、自己中心的な状況で「会話」と「行動」と「心」を化けたままで育ちますから、この事実が成長して大人になって<<歪な状況>>として顕現されます。
ですが、当の当人は気づいていません。
勿論、大人になるまえにも、沢山の子供達が<<いじめ、非行、暴力、拒食&過食、などなど>>で、明らかに表面上に問題となる現代社会になっています。
客観的に観察しますと、可笑しげな発言、怪しげな行動、なども全てが、過去の心(厳密には、過去から~現在に至るまでの心)が、今の自分の心を操作しています。
当人は、何故に、今、自分がこんな会話とか、こんな行動などを、或いは、何故に、こんな考え方をしなければならないのか理解できずに、悩んでいます。
結局、自分自身が、自分の不確定な道、不確実な道、{不透明な道}を歩く結末となってしまいます。
人間世界生きていると、色々様々な生き方、生きる道が有ります。
けれども、決して自分の思う通りにならないのが、人間社会です。
悩んで、その悩みから逃れられない場合はですね、自分には{この道}しか無いと考えます。
人には沢山の道が、石畳のように沢山と敷かれていますよ。
自分が、自分の間違いない道を歩いている積もりでも、案外と、間違った道を歩いている場合は、多いです。
客観的に見れば、{間違った道}を歩いている人が居るのですが、彼等は{不透明な道}を歩いているのですが、時には{正義の道}を歩いていると思っている人達も居ます。
自分では、何故に、今、こんな考え方をして{悩み}や{苦しみ}を抱えるのかと嘆いている方達も沢山と居られます。
自分の心を、しっかりと確認していないので分からないでしょう。
自分の心が、分からない、理解できていないのです。
所詮、人間は誰もが、{不透明な道}を歩いているのでしょう。
でも、{歩いている道}を変えた方が良いのに、どんなに助言しても<言われた道>、<助言された道>を歩こうとしないのが、また、人の常なのかも知れません。
「不透明な道」でなくて、生き様を明確にして生きましょう。