乳児から~また、育ちます。
この間に、両親が離婚する場合も沢山とあります。
勿論、赤ちゃんとして誕生する前に、両親が離婚する場合もあります。
かなり前からですが、シングルマザ―と言う言葉もあります。
子供が誕生した時には、片親が居ないし、また、父親だけでなくて、母親が居ない場合もあります。
子供にとって、自分が決定した道ではありませんよ。
親が、勝手に自分達の考え方と行動をとっただけです。
子供にとっては、大変に辛いのですが、親は気づいてくれません。
勿論のこと、子供達は、しかじかと決められた道を知っている筈もありません。
でも、平均して、周囲の人達と同じような道を歩きたいと感じますよ。
少し成長すると、兄弟姉妹が出来たり、また、一人として兄弟姉妹も出来なかったりする場合も有ります。
長男、長女は、下の赤ちゃんが出来れば、その時点から<やきもち>、<嫉妬>や、<妬み>などします。
親の愛が、自分からはなれて、下の赤ちゃんへと去って行くのが、非常に寂しく感じます。
この兄弟姉妹の間のコンプレックスなどについては、昔から旧約聖書の中にも、同じような事柄が、「カインコンプレックス」として、述べられています。
アベルとカインの有名な話ですね!!。
兄弟姉妹が、何人できたかでも、子供間の心の葛藤は違います。
それぞれの家族によって、誰もが、家族構成も違い、親達も〈先述しましたが、名誉とか地位とか金銭とか・・・〉状況が皆が違います。
子供達は、自ずから、当てられた道を歩くだけなのです。
結局は、<不透明な道>が与えられて、その{道}を歩くのです。
親達も、自分の歩く道を、自力で変えた自分の運命の道を歩いている訳でもありません。
親も、偶然にですが、自分達の道を歩いていると考えています。
当方から、見れば、親達が決して自分で<選んだ道>を歩いているとは、思いませんね。
誕生したから、幼い時期に地上の人間の戦争に巻き込まれたり、天変地異などで、親や兄弟姉妹と離れ離れになってしまう人達も、沢山と見られますよ。
「衣」・「食」・「住」にしても、子供達の好んだものではない事が沢山であります。
この三つの、どれを見ても、自分の思う通りにはなりません。
親も子も、みんが<不透明な道>を歩いていますが、気づきません。
自分の人生は、こんな風ではなかった、もっと違った人生が有ったなどと考えると、辛い悲しい気持ちも浮き上がってきます。
人生は、全てが不透明、<不透明な道>を歩いていますが、殆どの人達は気づいていません。