お母さんは居るけれど、お父さんが居ない場合もあります。
そして、お母さんから育てられる場合があります。
また、お父さんが、子供達が何歳の時に居なくなったか、などもあります。
逆に、お父さんは居るが、お母さんが居ない事もありますね。
子供達が何歳の時から、両親の片方がいなくなっていったか、でもあります。
面白いっていうか、大変なのは、両親が居れば、互いに、両親が衝突しながら、子育てする場合があります。両親が居れば子育ては無事と言うものでもありません。
片方の親が居なくなると、残りの親だけの気持ちと言うか、子育て感で進行します。
片親が居なくなれば、益々と一層のこと、子供達に片親が<子供達を何とか上手に育てたい>などと考えて、子供に勉強などを強いる場合もあります。
一方で、片親が居なくなることによって、残った親が子育てを放棄するような場合も出て来ますし、{虐待}にまで至る場合もあります。
子供達は、片親に対して、<有り難さ>を感じて生きるか、<不満や恨み>を持って育つか、どちら側の感情が大きいかで、大人へと成長する過程での心・性格・人格などが形成されて行きます。
片親が居なくなると言う事は、単純に<かくかくしかじか>と言えるものでもありません。
片親が居なくなると、残った片親だけで育てられるかと言えば、出来ないですね。
その間には、必ずや、保育所や幼稚園などに預けられたり、或いは、祖母や祖父が出てきたりします。
時には、曾祖母や曾祖父まで子育てに関わって来るばあいもありますね、少ないケ―スでしょうが。
残った片親が働いて子育てする程の経済力が有るか、無いかの問題も出てきますが、公的資金、生活保護を受けながらの子育てもあります。
片親が子育てをすると、育つ子供達は、必ずや、心の葛藤は他の子供達と比較して、限りないほどに増える筈ですね。
しかし、物心ついた子供達が、片親に対して如何なる気持ちを持って育つか、です。
簡単に言えば、片親に対してマイナスの感情を持って育ちながらも反面教師として育つ場合と、一方で、ずっと怨念だけを持ちながら育つ場合に分かれてきます。
片親に対して、不平や不満や、時には怨念を持ちながら成長しますと、大人になる過程で上手に社会適応できない、そんな人間になる場合もあり要注意でしょう。
必ず、子供達は、自分の親を中心に見て育ちます。
また、成長するにつれて友達の家の事情とか友達の心・雰囲気とか、自分の心や自分の立場などを比較しながら育ちます。
友達や他人と自分を比較しながら、劣等感など抱え込んでしまいます。
親も子供も、「心理療法」の体験が重要です。